兵役期間満了の数週間前に
「ホレス・シルヴァー(p)という人物から、君が除隊できないかと訊かれている。君と一緒に何かプレイしたいそうだ」と指揮官に言われた
ウェインはもう一年射撃訓練の教官として隊に残るように要請されていたが
おかげですぐ除隊することができた。
ホレスとは結局3回くらいしか演奏しなかったらしいですが
著作権の管理の事をいろいろ教わったようです
ホレスは自分の曲の出版権を自ら管理した最初のジャズメンだそう
おかげで彼はのちのヒップホップアーティスト達がサンプリングで使った
著作権料をしっかりもらうことになったそうです
除隊後、ウエインは遅れを取り戻そうと沢山のギグ(ライブ)を重ねていく
ある日の午後ウェインは昼のステージをホレス・シルバーとしているところに
上品な女性が現れ「ナイーマと申します」と自己紹介される
「夫がお会いしたいと申しております。あなたのプレイが気に入ったそうです」と
ジョンコルトレーンが現れた
なんという出会いなんでしょうね!!
103丁目のブロードウェイにあった彼のうちにウェインはしょっちゅう通うようになる
「手料理をご馳走してくれて、その後一緒に練習したり、話したり
なかなか帰してくれなかったな」と言っています
なんて微笑ましい光景なんでしょうね
フレディ・ハバード(tp)が、コルトレーンの家に行くとウェインがいて
よく弦楽器の本を二人で練習していた。楽器の特性でなく音をつなげる練習として
ウェインの方がうまくふけてることもあって
でも、ウェインがソニーロリンズみたいに吹くと
「おいおい、それはお前らしくないな」なんてコルトレーンが注意したり
なんという光景でしょう!!
ニューヨークでは今でも若いミュージシャンが演奏していると
グレートミュージシャンが遊びに来たり
いろんな先輩後輩の関係があって素敵ですよねー
30代の頃はそんなこともよくしてましたが
最近観ないのは僕らが怠けてるからですかね、、、、
コルトレーンは1959年ジャイアントステップスを発表する年
マイルスのバンドを離れるためにウェインを紹介しようとしていた
ウェインはマイルスに電話したが、その時は
「新たにテナープレイヤーが必要になったら知らせる」と断られている
コルトレーンが奥さんに捧げた曲
ナイーマを今日はご紹介します!この曲本当素敵