ウェイン・ショーター13 モザイク

リー・モーガンは1961年、自分のバンド結成のために
ジャズメッセンジャーを脱退します

その後釜としてウェインの昔のバンド仲間フレディー・ハバード(tp)が入団
ウォルター・デイヴィス(p)の代わりに軍役時代に一緒だった
シダー・ウォルトン(p)が入団しています

シダーは
「フレディと同じ日にメッセンジャーズにはいったんだ
で、リハーサルの初日にMosaicという曲をもっていた
以前いたアートファーマーバンド(tp)ではうまくいかなかったんだけど
ウェインとカーティス、フレディ、アートはコーンフレークか何かみたいに
パクパク食べちゃったんだ」といっています

この曲サビがものすごいポリリズムになっているんです
僕のバンドでもやっていましたが
高速でやるし、めちゃくちゃ難しいんですが
楽しい曲です

ブレイキーは数回の来日の最後の曲はいつも「チュニジアの夜」ですが
一度だけこの「モザイク」を演奏しているようです

サビなにやってるかわかるかなー?ww

ウェイン・ショーター12 結婚

アート・ブレイキーバンドは世界各地を巡業した
海外ツアーでは良い事もあったが
対立や小競り合いがあったりした

ツアーでの宿泊は自分でまかなうのが普通だった
しかし日本公演ではメンバー全員に豪華な客室と
リムジンを用意してくれた

海外ツアーで大概は100名くらいのライブハウスでの演奏であったが
日本ではコンサートホールがどこも満席で
数千人が頭を一斉に上下させて音楽にあわせて踊り
曲をハミングでくちずさんだという

ジャズメッセンジャーズは来日した
初めてのモダンジャズバンドであったのもあるだろうが
天皇までが謁見したくらいで
ビートルズ来日と同じくらいの状態だったといわれる

ウェインはこの後日経の女性
アイリーン・ナカガミと結婚している

1961年には娘のミヤコが産まれます
ウェインは生まれたばかりの娘に曲をかき
これが後のインファント・アイズになっている

「ミヤコの瞳の中に幼年時代の全てが見えた。
僕らは過去の出来事を改装する。そうやって昔に現在を支配させてしまう。
でも、人間はみんな瞬間ごとに生まれ変わっているんだよ。」
という思いがこもっているそうです。

この曲はサックスバンドではよくやりますねー!
かっこいい曲

 

 

ウェイン・ショーター11 アート・ブレイキーの家族

アート・ブレイキー(ds)はショーターの曲をいち早くバンドに取り入れていた。
アートはメンバーをニューヨークのセントラルパークウェストにある自宅に招きパーティを開いた

家には妻のダイアナと娘のサキーナガマルがいた

サキーナは訪問者を厳しく評価したようだ
「大人には理解できない子供の考え」を曲に書き出したかったと

この曲このエピソードが好きで自分のバンドで演奏よくしました!

ショーターは奥さんのダイアナに対しても「シンシアリー・ダイアナ」という曲を書いています

このパーティでウェインは住み込みでサキーナの世話をしていたフランス人女性ジョエルと話している
この「Joelle」も「The Witch Doctor 」に納められている

ジョエルは1955年にセントラル・パークのベンチに座っていると
ひどく咳き込んだ男が近づいてきて隣に座った

ジョエルが話しかけると音楽のことについて話しあった

すると男は「いつか誰かに、君がふさわしいと思う人物にこれをあげてくれ」と包みを渡される

包みの中にはクラシック・アルト奏者マルセル・ミュールのレコードと
ドイツのバイオリン教本1冊入っていた

その男はチャーリー・パーカー(AS)だったという

すごい偶然というか必然のお話しですよね、、

 

ウェイン・ショーター10 バド・パウエル

ウェインの初リーダーレコーディングから4日後
ブレイキーバンドはヨーロッパツアーにでることに

ブレイキーバンドは前年オリンピアシアターでの成功に加え
クラブ・サン・ジェルマンでの演奏も大盛況だった

若いパリ市民はバップが生活のBGMになるくらいの
ジャズ・ビバップへの熱狂ぶり

シャンゼリゼ劇場でのコンサートが最終日だったが
プロモーターの手配で、当時フランスに移住していた
数多くのミュージシャンが招かれていた
その中にはバド・パウエル(p)もいた。バドは呼び出されて数曲演奏している!

映画「ラウンド・ミッドナイト」では
パリに移り住んだミュージシャンがお酒で人生をだめにしていく模様を
デクスター・ゴードン(ts)が演じている
このミュージシャン人生のモデルはバド・パウエルとレスター・ヤング(ts)

演奏の後ウェインだけはホテルに戻りゆっくりと曲作りをしていた。
夜中の3時にノックの音が、バドが部屋にはいってきたのだ。
「何かちょっと吹いてくれないかな」と言われウェインは
バドの異教徒たちの踊りを吹いた

バドはウェインに礼をいって立ち上がった
ウェインが「大丈夫ですか?」ときいたら「ああ、大丈夫だ」と答えたという

このエピソードを映画「ラウンドミッドナイト」収録時に話したところ
このシーンを撮影までしたのだが、ワインに溺れていくミュージシャンの流れから
浮いてしまったためにカットされたのだという、、

後に娘のセリアがウェインと話した時に
ニューヨークの音楽が「大丈夫」かを確かめたかったんだわ
と話したそう

この飛び入りの演奏で「異教徒たちの踊り」がこちら!

↓をクリック
https://youtu.be/J4GThYvCxuU

 

ウェイン・ショーター09 デビューアルバム

リー・モーガンの誘いで
メッセンジャー加入後の8月12日ヴィージェイで行われた
ウィントンケリー(p)のセッションアルバム「ケリー・グレイト」に参加している

このアルバムにはメイナード・ファーガソン(tp)に書いた「ママG」も収められ
作曲家としての待遇もしっかり受けています

その後すぐにウェイン自身もレコーディング契約をむすび
デビューアルバム「イントロデューシング・ウェイン・ショーター」を録音している。

リー・モーガン(tp)ウィントン・ケリー(p)ポール・チェンバース(b)ジミー・コブ(ds)
マイルスのリズム隊プラス ブレイキーバンドのフロントというメンバー

この中の「ブルースアラカルト」では
13小節メロディ プラス 8小節のバンプつきという変則ブルースなんかも作曲しています
リーモーガンがミュートを使っていてかっこいいです!
アドリブもこの21小節でやってますけど、わからんくなりますね!
↓をクリック
https://youtu.be/dE8z3nGhI_8

 

ウェイン・ショーター08 リー・モーガン

アート・ブレイキーバンドに参加したウェインはリー・モーガン(tp)とすっかり仲良くなっています

ドキュメント映画「私がモーガンと呼んだ男」をみましたが
この若き天才トランペッターもやはり当時はやっていたヘロインでダメになっていきます

アヘンを精製するとモルヒネになり、モルヒネをさらに精製した最悪のドラッグです
やめると体に異変が起こる、、、依存性が最も高いドラッグです
マイルスもヘロインから抜け出るのに4年もかかっています

1961年自分のバンドの結成のためにブレイキーバンドを脱退
トランペットはフレディ・ハバードに交代しています

自分のバンド活動では
演奏に来たりこなかったり、信用を失っていきます
1965年にドラッグで酩酊して転んで放熱器に頭をぶつけ大きなやけどをしています
それ以降髪の毛を前に流して隠しています

ミュージシャンとしても仕事がなくなりつつあったその時に
ヘレンと出会います。ヘレンは甲斐甲斐しくリーに尽くし
リーはどんどん音楽家としても復活していきます
まるでリーのマネージャーのようにギャラ交渉から何からなにまでを世話するように
内縁の妻としての存在でした

しかしある日からリーは他の女性の元に帰って行くようになります

そして1972年 ニューヨークにあったジャズクラブ「スラッグス」で2回目のステージと3回目の休憩中に
リーがヘレンの護身用に渡していた銃でヘレンに胸を撃たれ、なくなってしまいます

1970年にだした「サイドワインダー」はみなさんも一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか?

ウェイン・ショーター07 ブレイキーバンド

1959年7月24日 ウェインはファーガソンバンドの一員として、トロントのジャズフェスティバルに出演する。共演者の中にアート・ブレイキーバンドもあった、しかし、この時はテナーのハンク・モブレーが薬問題で欠場していた。

そんな中、ブレイキーバンドでのリー・モーガン(tp)がウェインの演奏を目にしてアートに彼をメンバーにしようと提案する。アートは信頼できるサックス奏者を探していたのであっさりOK

会場は競技場でステージはトラックの中央に建てられていた、そこをリーが横切ってこっちに走ってきて
開口一番「メッセンジャーズに入りたいか?」(アートブレイキーのバンドはイスラム教徒であったリーダーのネーミングでジャズメッセンジャーズと名乗り名を馳せていた!)

ウェインとしては加入して4週間しかたっていないのに不義理になるのでは?とのことだったので
アートが直々に「ウェインがビッグバンドで決まったメロディを吹くプレイヤーじゃないのはわかるだろ?」と説得

ファーガソンもあっさり承諾!
このへんなんともみな潔い!!

この前年に有名なアルバム「Moanin’」をリリースしたばかりのメッセンジャーズはノリにのっていた!

そのバンドに入っていきなり1959年にウェインの作曲した「Africaine」がタイトルになったCDが発売されている!
一曲目にAfricaine 二曲目に先日紹介した Lester Left Town と二曲もウェインの曲が取り上げられています
すごい信頼度ですね!

 

ウェイン・ショーター06 ジョー・ザビヌル

ウェインの新たなチャンスは
ジョー・ザビヌル(p)と出会ったことであった
後にウェザリポートを一緒に結成する同士であるが
まだザビヌルはオーストリアのウィーンからNYに来たばかりで
英語も覚束ない状態であった

しかし、ウェインとは非常に気があって
いつも一緒につるんでいた

その頃のNYでは「セレニアス・モンク(p)だ。マイルス(tp)もいる。あそこにいるのは、、、
ソニー・ロリンズ(ts)だ!」といった具合の状態
ただ見ていれば言葉はなくても、いろんな事がわかる状態だったと言っている

その頃メイナード・ファーガソン(tp)率いるビッグバンドの
テナープレイヤーの一人が兵役で軍隊に入ることとなり
サビヌルは、そのオーディションをウェインに受けるように説得する

オーディションには、エディ・ハリスやジョージ・コールマンも来たようだが
見事ウェインがそのポストを獲得した!

ファーガソン・バンドはみなさんよくご存知の
「スタートレック」のテーマ!アメリカ横断ウルトラクイズで聞いたことあるかと

ウェイン・ショーター05 コルトレーンとの出会い

兵役期間満了の数週間前に
ホレス・シルヴァー(p)という人物から、君が除隊できないかと訊かれている。君と一緒に何かプレイしたいそうだ」と指揮官に言われた

ウェインはもう一年射撃訓練の教官として隊に残るように要請されていたが
おかげですぐ除隊することができた。

ホレスとは結局3回くらいしか演奏しなかったらしいですが
著作権の管理の事をいろいろ教わったようです

ホレスは自分の曲の出版権を自ら管理した最初のジャズメンだそう
おかげで彼はのちのヒップホップアーティスト達がサンプリングで使った
著作権料をしっかりもらうことになったそうです

除隊後、ウエインは遅れを取り戻そうと沢山のギグ(ライブ)を重ねていく

ある日の午後ウェインは昼のステージをホレス・シルバーとしているところに
上品な女性が現れ「ナイーマと申します」と自己紹介される

「夫がお会いしたいと申しております。あなたのプレイが気に入ったそうです」と
ジョンコルトレーンが現れた

なんという出会いなんでしょうね!!

103丁目のブロードウェイにあった彼のうちにウェインはしょっちゅう通うようになる
「手料理をご馳走してくれて、その後一緒に練習したり、話したり
なかなか帰してくれなかったな」と言っています

なんて微笑ましい光景なんでしょうね

フレディ・ハバード(tp)が、コルトレーンの家に行くとウェインがいて
よく弦楽器の本を二人で練習していた。楽器の特性でなく音をつなげる練習として
ウェインの方がうまくふけてることもあって
でも、ウェインがソニーロリンズみたいに吹くと
「おいおい、それはお前らしくないな」なんてコルトレーンが注意したり

なんという光景でしょう!!

ニューヨークでは今でも若いミュージシャンが演奏していると
グレートミュージシャンが遊びに来たり
いろんな先輩後輩の関係があって素敵ですよねー

30代の頃はそんなこともよくしてましたが
最近観ないのは僕らが怠けてるからですかね、、、、

コルトレーンは1959年ジャイアントステップスを発表する年
マイルスのバンドを離れるためにウェインを紹介しようとしていた
ウェインはマイルスに電話したが、その時は
「新たにテナープレイヤーが必要になったら知らせる」と断られている

コルトレーンが奥さんに捧げた曲
ナイーマを今日はご紹介します!この曲本当素敵

 

 

ウェイン・ショーター04 レスター・レフトタウン

ウェインの兵役の配属先は
ニュージャージーのフォート・ディックス
(右上赤丸がマンハッタン島です)


そこでは射撃の腕前で一目置かれたそう
さらに、軍のバンドでたまたま空いていポジションに入ることができた
そこでシダー・ウォルトン(p)と出会っている

軍のバンドで演奏しているのを人に見られるのは
かっこわるいって思っていたそうですが
とても恵まれた兵役環境だったみたいですね!

兵役中に10日間の休暇をもらい
ウェインはトロントに遊びに行った
タウン・タヴァーンという店ではレスターヤングが演奏していた
憧れのレスターを観に行ったというわけです

ストライプのスーツにペイズリーのかっこでキメて行ったけど
お目当てのアルコールは売ってもらえず満席の中でいると
なんとレスターから声をかけてきてくれて
「ニューヨークからきたんだろ?飲みたいんだろ?」と言われ
酒蔵で本物のコニャックを飲ませてもらった

この偶然をウェインは神がくれた何かなんだろうと考えたようです

レスターを尊敬しているミュージシャンは本当に多いですが
レスターの世間での評価はあまり高くなかったようです、、、

ミンガスがレスターに捧げた曲
Goodbye Pork Pie Hatはいろんな方がカバーしていて有名ですが
のちにウェインがブレイキーバンドで作曲する
レスターレフトタウン これは僕もよくバンドで演奏しました

レスターの独特な歩き方を表現しているようです!
特にウェインのこのソロの最初は千鳥足で歩いている
レスターを表現したとのこと!