ロバート・ワイズ監督の映画「オッズ・アゲインスト・トゥモロウ」の譜面を
MJQのピアニスト[ジョン・ルイス]が担当していました。
レコーディングでは指揮に専念するために、ビルが選ばれたようです。
上にはったタイミングのシーンではビルが映像をみながら即興演奏をつけたようですが、
4秒ずれて編集されているようです。
ビルはこれで台無しになった、といっていますが、、いやー普通にいいですよね!(笑)
確かにビル・エヴァンスのタッチです!
ロバート・ワイズ監督の映画「オッズ・アゲインスト・トゥモロウ」の譜面を
MJQのピアニスト[ジョン・ルイス]が担当していました。
レコーディングでは指揮に専念するために、ビルが選ばれたようです。
上にはったタイミングのシーンではビルが映像をみながら即興演奏をつけたようですが、
4秒ずれて編集されているようです。
ビルはこれで台無しになった、といっていますが、、いやー普通にいいですよね!(笑)
確かにビル・エヴァンスのタッチです!
1959年 カインド・オブ・ブルー制作の年、サイドマンとしての仕事を色々引き受けています。
ヴァーブから発売されたこのアルバムもその一つです。
この曲は普通のBbのブルースですが、音の手前に装飾音符を付けてアドリブをしてるのが特徴的ですね!
僕はこのベースとピアノのフレーズを聴くと、大きな振り子をいつも連想させられます。
元はレナード・バーンスタイン作曲の「サム・アザー・タイム」の冒頭のモチーフです。
このフレーズを繰り返して演奏を展開する、ビルの「ピース・ピース」という楽曲から着想を得ていて、
このアルバムに「ピース・ピース」を入れたいとマイルスも話していたようです。
「ピース・ピース」はずっと同じモードですが、
この曲では5種類のモードにすることをビルが提案!
このアルバムは全曲マイルス作曲になっていますが、やはり、エヴァンスのアイデアがふんだんに盛り込まれているんですね!
このアルバムを作る前にマイルスのアパートで、マイルスがGmとAaugと楽譜に書いて
「これをどう料理する?」ときかれ、持ちかえって作曲した曲だそうです。
でも、この曲のクレジットはマイルス・デイヴィスになっています。
レコーディングの最後になって、少しもめたようですが、25ドルの小切手をもらったそうです、、、
なんとも少額、、、
マイルスはFour やTune Up もエディ・ヴィンソンの作曲を自分が先にレコーディングしてクレジットしたりしていて、、、まあ、よくある話ですね。
Donna Lee はマイルスの曲ですけどチャーリー・パーカーになってますしね。
パワーバランスです。
でもいい曲ですね、、、、この曲 大好きです。
とうとうカインドオブブルーの制作に入ります。
1958年の11月にエヴァンスがマイルスバンドをぬけてからレッド・ガーランドが再び戻ります。
1959年2月にジャマイカ生まれのウィントンケリーが正式にメンバーとなります。
このアルバムの制作はエバンスがグループを抜ける前に了承していたので、なんとレコーディングに同時に2人のピアニストが入っていたそうです。
エバンスはウィントンがディジーガレスピバンドで演奏していたのをみて非常に彼のプレイを尊敬していたので、お互い相手を賞賛する形だったようです。
この演奏ではメロディのあとはウィントンケリーのソロですね!
エバンスとは対照的な明るいソロですね!
ジョージ・ラッセルは菊地成孔さんのジャズの歴史でリディアン・クロマチック・コンセプトの理論で大々的に紹介された、あらたなジャズのアドリブの取り方の理論構築した人です。
エヴァンスとの出会いは以前にもご紹介しました。
なんとも独創的な作品ですよね!
ドラムとジョンヘンドリックスのナレーションみたいなのからスタート
リチャードロジャースとロレンツハートのデビュー作品ですよね。メロディが確かに、ちょっと聴こえますが全然あのマンハッタンぽくないですね、、アドリブでもちょいちょいメロディ引用されてますけど、、
でも、これすごいメンバーです!
先週紹介した、ボブブルックマイヤーがバルブトロンボーンで、ジョン・コルトレーンまではいっています。
1959年ですからカインドブルーと同じ年ですね!しかしこのあたりのジャズはさまざまなスタイルが出てきて本当にすごいですよね!
ボブ・ブルックマイヤーはバルブトロンボーン奏者であり、メルルイスなどのビッグバンドのアレンジをしたりするコンポーザーでもあります。
エヴァンスはてっきりトロンボーンカルテットだと思っていたようですが、レコーディング会場にいくと2台のピアノがならんでいた。という状況だったようです。
後にボブブルックマイヤーはアマチュアピアニストと一緒に演奏してくれたことを感謝している。と言っています。
結局このレコーディングでボブはトロンボーンをケースから取り出すことはなかったわけです。