マイルスはコロンビアに移籍してこのアルバムを出します。
このアレンジも定番ですが、後テーマはやらずに終わる所といい、、、
さすがマイルスって感じです。
マイルスはコロンビアに移籍してこのアルバムを出します。
このアレンジも定番ですが、後テーマはやらずに終わる所といい、、、
さすがマイルスって感じです。
ロバート・ワイズ監督の映画「オッズ・アゲインスト・トゥモロウ」の譜面を
MJQのピアニスト[ジョン・ルイス]が担当していました。
レコーディングでは指揮に専念するために、ビルが選ばれたようです。
上にはったタイミングのシーンではビルが映像をみながら即興演奏をつけたようですが、
4秒ずれて編集されているようです。
ビルはこれで台無しになった、といっていますが、、いやー普通にいいですよね!(笑)
確かにビル・エヴァンスのタッチです!
ジャズの演奏は一枚の譜面だけで何時間も演奏できます。
この日はこの曲はリハーサルをせずに
知らない曲で演奏しました。
その演奏ができていく過程をお楽しみください!
パラマウント映画で映画のスコアについて学ぶためにロスアンジェルスにいたバートの元に、ピアニスト・コンダクター・アレンジャーのピーター・マッツからマレーネ・ディートリッヒの代役を頼む電話があったようです。
マレーネ・ディートリッヒはベルリン生まれの女優で、アカデミー賞も受賞しており、当時はすでに56歳だったようですが、まだまだ美しかったとバートはいっています。
オーディションに受かると思わなかったバートは彼女の部屋に訪れた。
「曲を書くのか?」と聞かれ、数曲弾いてみせると、私には合わないけどフランク・シナトラにと、曲を送ってくれたようです。
シナトラにはボツにされたようですが、ここから2人は長く一緒に音楽活動をするようになります。
アレンジをし、ピアノを弾き、オーケストラを指揮するという仕事を長く続けていくことになります。
この仕事をするようになって、演奏が終わるとジュディ・ガーランドのような有名人達と一緒に食事することが多くなり、人脈を築いていきます。
1955年にマイルスバンドに加入したコルトレーンは早速多くのライブとレコーディングの仕事が始まります。
世にいう第1期黄金クインテットです。
メンバーは
Miles Davis (Tp)
John Coltrane (Ts)
Red Garland (P)
Paul Chambers (B)
Philly Joe Jones (Ds)
1956年にはジャズ専門のレコードレーベル プレステージからマイルスはコロンビアに移籍することになります。
大手のレコード会社に移籍したかったわけです。
ところが、契約がまだのこっていたため、1956年の5/11 10/26の2日間で一気に四枚分の曲を録音してしまいます。
これがマラソンセッションと言われて、四枚のアルバムがこの後1年ごとに発売されていきます。
Cookin’ Relaxin’ Workin’ Steamin’ のing系4部作ですね!
最初に聴け!といわれたのがこの四枚でした!実際よくセッションでも演奏する曲が沢山はいっています。
今日の[Cookin’]のチューン・アップではコルトレーンのゴリゴリ若い感じが聴き取れますね!
本人はマイルスの頃の初期の頃のアルバムは恥ずかしいとコメントも残しています。
でも、間違いなく、彼を世界的に有名にしたアルバムですね!
1959年 カインド・オブ・ブルー制作の年、サイドマンとしての仕事を色々引き受けています。
ヴァーブから発売されたこのアルバムもその一つです。
この曲は普通のBbのブルースですが、音の手前に装飾音符を付けてアドリブをしてるのが特徴的ですね!
谷口英治さんとクラリネットフェスティバルに出演させていただきました。
谷口さんのオリジナル曲で「恋とリードは振り回されるくらいがいい」を演奏したのですが、これがいい曲なんです。
クラリネットってリードの調子で変わるので、でも、それに振り回されるのもいいんだよね!という意味で、テンポが振り回される感じでコロコロ変わります。
倍の速いテンポになる所は倍になるよ!って予測させるフレーズを入れずにやった方が、振り回される感でませんか?との提案に快くOKをもらって。
超楽しみながら演奏できました!
演奏中の思考もいれておきました!
ヒットを少しとばしながらも、作曲ではまだまだ生活できなかったバカラックは
ピアニストとして、バンドの演奏に参加しています。
エイムスブラザーズ
スティーブ・ローレンス
この演奏はバカラックの演奏ではないのですが、こういった売れているミュージシャンの伴奏で、ツアーを回ったりしていたようです。
エイムスブラザーズには曲を提供しようとしたそうですが、
作風が違ったために、
「曲はかかなくていいから、ゆっくししてくれよ、、、」なんていわれていたようです。
作曲家としてはなかなか上手くいかず、
スティーブ・マックイーン主演の「マックイーン絶対の危機」の映画を、
ノンクレジットで楽曲提供しています。
ノンクレジットは名前をださずに安く買い取られるということですね!
ミュージシャンあるあるですけど、バートさんは明らかに早く下積みを脱していると思います。うらやましい!
でも本人は作曲家として立ち行かず、かなり焦りを感じていたようです。
80曲近く曲を提供したにもかかわらず、録音すらされないことも多かったようです。
マイルスバンドに加入してジョンはすぐにナイーマと結婚しています。(1955年)
この演奏は1961年と随分あとになるのですが、奥さんに捧げた曲です!素敵ですよね!
ウェインショーターの歴史でも紹介しましたが、ウェインがホレスシルバーのバンドで練習している所に現れ、
うちの主人があなたとお話ししたいといっているの、、と彼を家に招待しているエピソードが非常に印象的です。
ジョンとウェインが練習している時にいそいそと手料理を作ってもてなしていたそうで、
とてもいい夫婦だったんでしょうね!