ジョン・コルトレーン15 モードの代表作「カインド・オブ・ブルー」

エバンス、コルトレーン、マイルスどの視点からもこのアルバムは外せない大きなステップになるアルバムです。

これまでのコードがどんどん移り変わっていくスタイルから、1つのコードのモードの中で自由にメロディを作っていく手法が世界中に発表された最初のアルバムになります。

コルトレーンはこの後アトランティックレコードでジャイアントステップというコードが今まで違う所に目まぐるしく移り変わるスタイルのアルバムをつくりますが、その後はモードスタイルを掘り下げて自分らしいフリージャズへと移行していきます。

この曲は特にスパニッシュスケールを使ったりするスタイルなので、今後のコルトレーンの指針が決まっていくアルバムになったのかと思います。

コルトレーン14 モード手法をためした最初の録音「マイルストーンズ」

マイルス「これは俺が初めてモード手法を採り入れてレコーディングしたアルバムだった。
特にタイトル曲はモードそのものを使って作曲した。」

といっているので、このあたりで既にカインドオブブルーの構想はできていたんでしょうね!

ブルースを中心とした曲構成で、非常にすきなアルバムです!

 

ジョン・コルトレーン13 ブルーノートレーベルの名盤「ブルー・トレイン」

1957年モンクの共演もやりつつ、自分のリーダーも精力的に活動しはじめます!
ものすごい激動の年ですね!

専属契約していたプレスティッジに許可を得てブルーノートレーベルでの超名盤です!

John Coltrane(ts) Lee Morgan(tp) Curtis Fuller(tb) Kenny Drew(p) Paul Chambers(b) Philly Joe Jones(ds)
という3管編成のハードバップの代表のようなアルバムですね!

プレスティッジの録音は当日数曲メンバーが持ち寄ってセッションをしながら1発で録っていく方式!

それに対してブルーノートは作品として練り上げる制作方式でつくられていたようです。

このアルバムが今後のコルトレーンの演奏の方向を決定づけたといっても過言ではないかと思います!

 

ジョン・コルトレーン12 マイルスバンド解雇 モンクの元へ!

ラウンド・ミッドナイトの録音の前後、コルトレーンの麻薬常習癖は非常に深刻になっていました。
マイルスも麻薬経験者のため、最初は多めに見ていたもようです。
とはいえ、ステージもよれよれのスーツであがり、鼻をほじっていたり、遅刻も日常的、、、

あげく、1957年のはじめ、カフェ・ボヘミア出演の時
コルトレーンが全く無反応だったのにマイルスは頭をひっぱたき、腹にパンチをいれたそうです。

そこに仲裁にはいったのがセロニアス・モンク(p)だったわけです!

コルトレーンはこの事件に非常にショックを受け、麻薬・酒の常習癖を断つ決心をします。

マイルスには演奏の質問をしても全く答えてもらえなかったようですが、
モンクは1日かけても徹底的に教えてくれたそうです。

モンクバンドに入ったことと、麻薬を絶ったあとのコルトレーンは全くオーラが違ったと多くの人が証言しています!

すごいことですね!

この演奏も、チャーリー・ラウズ(モンクバンドで一番長い期間のテナーサックス)
とはまた違ったコルトレーンのよさがでていますね!

 

 

ジョン・コルトレーン11 コロンビアレコードに移籍後初のアルバム「ラウンド・ミッドナイト」

マイルスはコロンビアに移籍してこのアルバムを出します。

このアレンジも定番ですが、後テーマはやらずに終わる所といい、、、
さすがマイルスって感じです。

 

ジョン・コルトレーン10 たった2日で四枚分のCD製作 マラソンセッション

1955年にマイルスバンドに加入したコルトレーンは早速多くのライブとレコーディングの仕事が始まります。
世にいう第1期黄金クインテットです。
メンバーは
Miles Davis (Tp)
John Coltrane (Ts)
Red Garland (P)
Paul Chambers (B)
Philly Joe Jones (Ds)

1956年にはジャズ専門のレコードレーベル プレステージからマイルスはコロンビアに移籍することになります。
大手のレコード会社に移籍したかったわけです。

ところが、契約がまだのこっていたため、1956年の5/11 10/26の2日間で一気に四枚分の曲を録音してしまいます。
これがマラソンセッションと言われて、四枚のアルバムがこの後1年ごとに発売されていきます。

Cookin’ Relaxin’ Workin’ Steamin’ のing系4部作ですね!
最初に聴け!といわれたのがこの四枚でした!実際よくセッションでも演奏する曲が沢山はいっています。

今日の[Cookin’]のチューン・アップではコルトレーンのゴリゴリ若い感じが聴き取れますね!

本人はマイルスの頃の初期の頃のアルバムは恥ずかしいとコメントも残しています。
でも、間違いなく、彼を世界的に有名にしたアルバムですね!

ジョン・コルトレーン09 曲にもなっているナイーマとの結婚

マイルスバンドに加入してジョンはすぐにナイーマと結婚しています。(1955年)

この演奏は1961年と随分あとになるのですが、奥さんに捧げた曲です!素敵ですよね!

ウェインショーターの歴史でも紹介しましたが、ウェインがホレスシルバーのバンドで練習している所に現れ、
うちの主人があなたとお話ししたいといっているの、、と彼を家に招待しているエピソードが非常に印象的です。

ジョンとウェインが練習している時にいそいそと手料理を作ってもてなしていたそうで、
とてもいい夫婦だったんでしょうね!

ジョン・コルトレーン08 ソニー・ロリンズとバトル

1955年マイルスはコロンビアレコードからレギュラーバンドができたらレコーディングをする。
という申し出に、テナーが見つからずにイライラしていた。

ソニーロリンズはドラッグでどこかに雲隠れしているし、キャノンボールは教師としての契約が残っていたため他をあたらなければならなかった、、

そこでドラマーフィリージョージョーンズが友人のコルトレーンの名前を聞くわけです。

マイルスはガレスピバンドにいた頃のコルトレーンを知っており、ロリンズとコルトレーンを雇い一緒に演奏しています。その日はソニーロリンズが最高で、コルトレーンを震え上がらせています。

オーディションを受けるためにやってきたコルトレーンを聴いて独自のサウンドになっていて、格段に成長したコルトレーンをみます。

でもオーディションのあとは声をかけられることがなく、コルトレーンはサックスをケースにしまい、ジミースミスバンドに戻るためにフィラデルフィアに帰って行きます。

この音源はその1年後に録音されたものです。完璧に渡り合っていますね!名盤ですしねww

ジョン・コルトレーン07 マイケルジャクソンのオルガンもするジミースミスバンドへ

1955年コルトレーンは1年のほとんどをツアーにでていた、生活も安定して、兵役で得た金をもとに母・いとこのメアリー(後に曲名としてつけられていますね)を呼び寄せて家を購入しています。

最初の奥さんになるナイーマといつ一緒にすんでもおかしくない状況、ジミー・スミスのバンドに入ってっクラブに出演もきまって充実した日々を過ごしていました。

一緒に演奏している音源はみつからず、、、ジミースミスの映像を選びました。

ブルージーなオルガンでめちゃくちゃかっこいいですよね!
なんとマイケルジャクソンのBADのオルガンはジミースミスです!
知らず知らずに聞いていたかもですね!

ジョン・コルトレーン06 若き日の憧れジョニー・ホッジスバンド入隊

デューク・エリントンバンドのリードアルトのジョニー・ホッジスは
コルトレーンの学生時代からの憧れ。

なんとそのバンドで長期の仕事をすることになります。

若き日の憧れの人のバンドやるって本当ドキドキするんですよね!
誇らしい気持ちもあったり!

この演奏では音色がコルトレーンらしくなってきていますねー!