ジョン・コルトレーン08 ソニー・ロリンズとバトル

1955年マイルスはコロンビアレコードからレギュラーバンドができたらレコーディングをする。
という申し出に、テナーが見つからずにイライラしていた。

ソニーロリンズはドラッグでどこかに雲隠れしているし、キャノンボールは教師としての契約が残っていたため他をあたらなければならなかった、、

そこでドラマーフィリージョージョーンズが友人のコルトレーンの名前を聞くわけです。

マイルスはガレスピバンドにいた頃のコルトレーンを知っており、ロリンズとコルトレーンを雇い一緒に演奏しています。その日はソニーロリンズが最高で、コルトレーンを震え上がらせています。

オーディションを受けるためにやってきたコルトレーンを聴いて独自のサウンドになっていて、格段に成長したコルトレーンをみます。

でもオーディションのあとは声をかけられることがなく、コルトレーンはサックスをケースにしまい、ジミースミスバンドに戻るためにフィラデルフィアに帰って行きます。

この音源はその1年後に録音されたものです。完璧に渡り合っていますね!名盤ですしねww

ジョン・コルトレーン07 マイケルジャクソンのオルガンもするジミースミスバンドへ

1955年コルトレーンは1年のほとんどをツアーにでていた、生活も安定して、兵役で得た金をもとに母・いとこのメアリー(後に曲名としてつけられていますね)を呼び寄せて家を購入しています。

最初の奥さんになるナイーマといつ一緒にすんでもおかしくない状況、ジミー・スミスのバンドに入ってっクラブに出演もきまって充実した日々を過ごしていました。

一緒に演奏している音源はみつからず、、、ジミースミスの映像を選びました。

ブルージーなオルガンでめちゃくちゃかっこいいですよね!
なんとマイケルジャクソンのBADのオルガンはジミースミスです!
知らず知らずに聞いていたかもですね!

ジョン・コルトレーン06 若き日の憧れジョニー・ホッジスバンド入隊

デューク・エリントンバンドのリードアルトのジョニー・ホッジスは
コルトレーンの学生時代からの憧れ。

なんとそのバンドで長期の仕事をすることになります。

若き日の憧れの人のバンドやるって本当ドキドキするんですよね!
誇らしい気持ちもあったり!

この演奏では音色がコルトレーンらしくなってきていますねー!

ジョン・コルトレーン05 R&Bのスターと共演 アール・ボスティック

ガレスピーバンドを1年半続けたものの音楽的飛躍にはつながらず、ドラッグの使用が見つかりバンドを解雇されます。その後もガレズピにセプテットにも誘われたりするものの、フィラデルフィアに帰ることになります。

この後3年 R&Bとジャズに揺れ動き、ドラッグから酒、またドラッグへと揺れ動く生活を続けます。

R&Bの人気スター アール・ボスティック(Ts)のバンドでツアーとレコーディング。

コルトレーンは自分のテナープレイに大きな影響を与えてたといっています。

ジョン・コルトレーン04 ディジー・ガレスピバンド入隊

1949年の終わりから18ヶ月間ディジー・ガレスピバンドで活動しています。

ジョンにはこの時2つのフラストレーションがあったようです。

1。リードアルトを吹いていたものの譜面通りふくだけ
2。バンドの経済成長のためコマーシャル的な曲が多かった

控えめなジョンは自分の音楽性が標準より劣っていると感じていたようです。

確かに、軍隊の時よりは上手くなっていますが、演奏はまだまだな感じですねー!ガレスピがいるから比べちゃうのもあるのかもですが、、、

ガレスピ自身はジョンをすごく買っていたようで、後にセプテットにも参加させています。

でも、尊敬するガレスピの元で演奏するのは嬉しかったようですね!
そらーそうですよ!!

ジョン・コルトレーン03 テナーへ転向

軍役で稼いだお金でフィラデルフィアに戻り音楽学校で理論などを勉強しはじめます。

1940年代の終わりあたり、ブルースバンドのツアーなどに参加したりしています。本人も、中身がないポピュラーミュージックバンドに明け暮れていたといっています。

この動画のエディ・ヴィンソンバンドのオーディションで、エディに「テナーでソロを取ってみろ!」といわれ躊躇するも、吹き始めるとデクスターのようなすごい音が!

これをきっかけにテナーに転向しています!

もちろんこの動画のサックスはコルトレーンではありません。ご了承ください!

 

ジョン・コルトレーン02 軍隊時代の演奏

1945年8月からホノルルに軍役で1年間駐屯します。
その時のバンド活動がレコードになっているんですよ!

パーカーの演奏を真似た感じになっていますが、まだまだ学生っぽい演奏ですよね!

ウィントンマルサリスはこの演奏をみて、有名になる人は若くして何かもっているものだが、全く何も感じられない、、、これが20年であの演奏になるとは信じられないといっています。

ものすごい練習量だったんでしょうね!!

【丸ごと解説】菊池成孔さんの「東京大学のアルバートアイラー」を細かく解説!

ジャズの歴史書で
菊池成孔さんの「東京大学のアルバートアイラー」というのがあります!
これ、難しくて僕も何度か断念していますが、今回読み切りました!
めちゃくちゃ面白い!!やばい解説です!

本読み慣れてる人で、ジャズを結構聞いてる人ならこの本めちゃくちゃ面白いのですが、専門用語が多いので、どういう意味かをざっくりお話ししました!

十二音平均律→バークリーメソッド→MIDI
という音楽の変化でジャズの歴史をたどっていってまして。
時代背景なんかもかなり面白く解説しています!
ジャイアントステップスがなぜ難しいのか?という解説が秀逸です!

これと僕の動画「ジャズのジャンル」をみてもらえば
この本きっと面白く読めると思います!

ジョン・コルトレーン01 憧れはジョニー・ホッジス

1926年ノースカロライナ州ハムレットにジョン・コルトレーンは誕生します。産まれてまもなくハムレット近くのハイポイントという街で育つとこになります。

母方の祖父は牧師で、後期宗教的な音楽を追求していくきっかけになったのやもしれません。

12歳から14歳の間に父・祖母・祖父母が次々と他界し、自分も若くして働きに出なければならなかったようです。
高校を卒業するとフィラデルフィアに移りすみ、工場などで働いていました。

高校時代はスクールバンドでクラリネットを、フィラデルフィアに移り住んだ時に母がアルトサックスを買い与えてくれたようです。

憧れは貼った動画にもあるジョニー・ホッジスでした。

ジョニー・ホッジスはエリントンバンドに長く所属しており、低音から高音へ綺麗に音をしゃくる奏法が特徴的です、ちょうど動画をしゃくるポイントに合わせておきました!

何を聴いて育つかは大事ですね!

ビル・エヴァンス16 ソニー・クラーク

ビル(エヴァンス)が二枚目のアルバムを出した1959年には29歳になっていた。
その前年にピアニスト ソニー・クラークはニューヨークに出てきていており、ビルと親しくつきあっていた。

有名なのはこのジャケットのアルバム!
このフォントは日本の書店ビレッジバンガードのロゴにもつかわれています。

でもあえて引用に「タッドズデライト」を選んだのですが、それはビルの一枚目のアルバムにもはいってる曲だからでもあり、
ビバップとしての演奏方法はかなりビルが影響を受けているのがわかるかな、、、と思ったからです。

ではかなり人気あるピアニストですよね!

ソニー(クラーク)のドラッグ依存はビルよりも酷く、1963年に演奏中に心臓発作で亡くなっています。
31歳という若さです、、、残念ですね。