ジャズドラムのドラムソロで
ダサくなる一番の理由は
跳ねたままスネアで演奏してしまうことです
裏拍をうまくのまないとメロディっぽくなりません
解決方法は裏拍をBDにすることです
が、それだけだとなかなかうまくいかないので
今回もボキャブラリーとして
TermB とTermCを紹介しました
こういった単語を組み合わせるようにすると
うまくドラムソロができるようになってきます
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Drum solo TermB TermC
ジャズドラムのドラムソロで
ダサくなる一番の理由は
跳ねたままスネアで演奏してしまうことです
裏拍をうまくのまないとメロディっぽくなりません
解決方法は裏拍をBDにすることです
が、それだけだとなかなかうまくいかないので
今回もボキャブラリーとして
TermB とTermCを紹介しました
こういった単語を組み合わせるようにすると
うまくドラムソロができるようになってきます
Drum solo TermB TermC
ビリーホリディの歌詞のリクエストもあったので
この曲を選んでみました
Don’t Explain 説明しないで
言い訳しないで!って感じです
ビリーホリディの実体験からの歌詞です
こわーい歌詞の曲は世の中いっぱいありますけど
これもその一つですね!
火のない所に煙は立たないんですけどね
リー・モーガンは1961年、自分のバンド結成のために
ジャズメッセンジャーを脱退します
その後釜としてウェインの昔のバンド仲間フレディー・ハバード(tp)が入団
ウォルター・デイヴィス(p)の代わりに軍役時代に一緒だった
シダー・ウォルトン(p)が入団しています
シダーは
「フレディと同じ日にメッセンジャーズにはいったんだ
で、リハーサルの初日にMosaicという曲をもっていた
以前いたアートファーマーバンド(tp)ではうまくいかなかったんだけど
ウェインとカーティス、フレディ、アートはコーンフレークか何かみたいに
パクパク食べちゃったんだ」といっています
この曲サビがものすごいポリリズムになっているんです
僕のバンドでもやっていましたが
高速でやるし、めちゃくちゃ難しいんですが
楽しい曲です
ブレイキーは数回の来日の最後の曲はいつも「チュニジアの夜」ですが
一度だけこの「モザイク」を演奏しているようです
サビなにやってるかわかるかなー?ww
アート・ブレイキーバンドは世界各地を巡業した
海外ツアーでは良い事もあったが
対立や小競り合いがあったりした
ツアーでの宿泊は自分でまかなうのが普通だった
しかし日本公演ではメンバー全員に豪華な客室と
リムジンを用意してくれた
海外ツアーで大概は100名くらいのライブハウスでの演奏であったが
日本ではコンサートホールがどこも満席で
数千人が頭を一斉に上下させて音楽にあわせて踊り
曲をハミングでくちずさんだという
ジャズメッセンジャーズは来日した
初めてのモダンジャズバンドであったのもあるだろうが
天皇までが謁見したくらいで
ビートルズ来日と同じくらいの状態だったといわれる
ウェインはこの後日経の女性
アイリーン・ナカガミと結婚している
1961年には娘のミヤコが産まれます
ウェインは生まれたばかりの娘に曲をかき
これが後のインファント・アイズになっている
「ミヤコの瞳の中に幼年時代の全てが見えた。
僕らは過去の出来事を改装する。そうやって昔に現在を支配させてしまう。
でも、人間はみんな瞬間ごとに生まれ変わっているんだよ。」
という思いがこもっているそうです。
この曲はサックスバンドではよくやりますねー!
かっこいい曲
アート・ブレイキー(ds)はショーターの曲をいち早くバンドに取り入れていた。
アートはメンバーをニューヨークのセントラルパークウェストにある自宅に招きパーティを開いた
家には妻のダイアナと娘のサキーナとガマルがいた
サキーナは訪問者を厳しく評価したようだ
「大人には理解できない子供の考え」を曲に書き出したかったと
この曲このエピソードが好きで自分のバンドで演奏よくしました!
ショーターは奥さんのダイアナに対しても「シンシアリー・ダイアナ」という曲を書いています
このパーティでウェインは住み込みでサキーナの世話をしていたフランス人女性ジョエルと話している
この「Joelle」も「The Witch Doctor 」に納められている
ジョエルは1955年にセントラル・パークのベンチに座っていると
ひどく咳き込んだ男が近づいてきて隣に座った
ジョエルが話しかけると音楽のことについて話しあった
すると男は「いつか誰かに、君がふさわしいと思う人物にこれをあげてくれ」と包みを渡される
包みの中にはクラシック・アルト奏者マルセル・ミュールのレコードと
ドイツのバイオリン教本1冊入っていた
その男はチャーリー・パーカー(AS)だったという
すごい偶然というか必然のお話しですよね、、
左足のクラーベ代わりに
カホン用のクラベスを使って
チックコリアのアルマンドのルンバを
プロが本気で演奏してみました
クラーベ結構ずれるのでいつもより腰がいたくて
両足が宙にある感じなので、リズムよれるのを
踏みとどまって頑張ってみました
豆太途中きになりつつ無視!( ; ; )
ドラムソロは前もって準備しておいて
まずはそれをする!というのも手です
でも、相手のフレーズの一部分に食らいつく
というのができると、また一つ広がりがでると思います
カラオケで作った120のテンポでのソロを例に
黒田なりにソロを作ってみました
最後に通しでやっていますので
合わせて練習してみてくださいね
4バース120譜面
ウェインの初リーダーレコーディングから4日後
ブレイキーバンドはヨーロッパツアーにでることに
ブレイキーバンドは前年オリンピアシアターでの成功に加え
クラブ・サン・ジェルマンでの演奏も大盛況だった
若いパリ市民はバップが生活のBGMになるくらいの
ジャズ・ビバップへの熱狂ぶり
シャンゼリゼ劇場でのコンサートが最終日だったが
プロモーターの手配で、当時フランスに移住していた
数多くのミュージシャンが招かれていた
その中にはバド・パウエル(p)もいた。バドは呼び出されて数曲演奏している!
映画「ラウンド・ミッドナイト」では
パリに移り住んだミュージシャンがお酒で人生をだめにしていく模様を
デクスター・ゴードン(ts)が演じている
このミュージシャン人生のモデルはバド・パウエルとレスター・ヤング(ts)
演奏の後ウェインだけはホテルに戻りゆっくりと曲作りをしていた。
夜中の3時にノックの音が、バドが部屋にはいってきたのだ。
「何かちょっと吹いてくれないかな」と言われウェインは
バドの異教徒たちの踊りを吹いた
バドはウェインに礼をいって立ち上がった
ウェインが「大丈夫ですか?」ときいたら「ああ、大丈夫だ」と答えたという
このエピソードを映画「ラウンドミッドナイト」収録時に話したところ
このシーンを撮影までしたのだが、ワインに溺れていくミュージシャンの流れから
浮いてしまったためにカットされたのだという、、
後に娘のセリアがウェインと話した時に
ニューヨークの音楽が「大丈夫」かを確かめたかったんだわ
と話したそう
この飛び入りの演奏で「異教徒たちの踊り」がこちら!
↓をクリック
https://youtu.be/J4GThYvCxuU
リー・モーガンの誘いで
メッセンジャー加入後の8月12日ヴィージェイで行われた
ウィントンケリー(p)のセッションアルバム「ケリー・グレイト」に参加している
このアルバムにはメイナード・ファーガソン(tp)に書いた「ママG」も収められ
作曲家としての待遇もしっかり受けています
その後すぐにウェイン自身もレコーディング契約をむすび
デビューアルバム「イントロデューシング・ウェイン・ショーター」を録音している。
リー・モーガン(tp)ウィントン・ケリー(p)ポール・チェンバース(b)ジミー・コブ(ds)
マイルスのリズム隊プラス ブレイキーバンドのフロントというメンバー
この中の「ブルースアラカルト」では
13小節メロディ プラス 8小節のバンプつきという変則ブルースなんかも作曲しています
リーモーガンがミュートを使っていてかっこいいです!
アドリブもこの21小節でやってますけど、わからんくなりますね!
↓をクリック
https://youtu.be/dE8z3nGhI_8
アート・ブレイキーバンドに参加したウェインはリー・モーガン(tp)とすっかり仲良くなっています
ドキュメント映画「私がモーガンと呼んだ男」をみましたが
この若き天才トランペッターもやはり当時はやっていたヘロインでダメになっていきます
アヘンを精製するとモルヒネになり、モルヒネをさらに精製した最悪のドラッグです
やめると体に異変が起こる、、、依存性が最も高いドラッグです
マイルスもヘロインから抜け出るのに4年もかかっています
1961年自分のバンドの結成のためにブレイキーバンドを脱退
トランペットはフレディ・ハバードに交代しています
自分のバンド活動では
演奏に来たりこなかったり、信用を失っていきます
1965年にドラッグで酩酊して転んで放熱器に頭をぶつけ大きなやけどをしています
それ以降髪の毛を前に流して隠しています
ミュージシャンとしても仕事がなくなりつつあったその時に
ヘレンと出会います。ヘレンは甲斐甲斐しくリーに尽くし
リーはどんどん音楽家としても復活していきます
まるでリーのマネージャーのようにギャラ交渉から何からなにまでを世話するように
内縁の妻としての存在でした
しかしある日からリーは他の女性の元に帰って行くようになります
そして1972年 ニューヨークにあったジャズクラブ「スラッグス」で2回目のステージと3回目の休憩中に
リーがヘレンの護身用に渡していた銃でヘレンに胸を撃たれ、なくなってしまいます
1970年にだした「サイドワインダー」はみなさんも一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか?