ディオンヌ・ワーウィックの曲でバート・バカラックの曲となると
トップ10には入るこの曲「Walk On By 」
ニュージャージーでの選挙戦中に一緒にその地を回ったディオンヌを讃えて、この曲の冒頭を歌っています。
選挙活動で歌うってすごい!
バートは歌にうるさいのに、「ちゃんと歌えているんだ!すごい!」って言っています!
1964年 バートとハルの共作「Anyone Who Had A Heart」恋するハート(邦題)が発表されました。
この時はディオンヌ・ワーウィックが歌ったものだったのですが、この当時アメリカのヒットソングは数週間で全くそのままコピーされイギリスで世界発売されるという事が頻繁にあったようです。
ディオンヌよりもシラ・ブラックの演奏が世界的に有名になってディオンヌは機嫌がわるかったようですね!
サビに行く前にちょっと変則な小節があったり、非常にバカラックらしい作風ですね!
元の曲は3/4で書かれた曲で、ジャック・ジョーンズがレコーディングしています。
クインシー・ジョーンズのアレンジでシナトラが歌って、ベイシーらしいアレンジ感じにしあがっていますね!
バカラックはクインシーに直接電話をかけて、なぜ4拍子になっている?
と聞いたそうです!
「バート、ベイシーのバンドは3拍子が弾けないんだ!」との答え!
まあ、弾けなくはないんでしょうけど、ベイシーらしくならないんでしょうね!
前回紹介した「涙でさようなら」は、最初ディオンヌ・ワーウィックのために書いたものの、
彼女が曲に興味を示さず、発表されなかったので、ジェリー・バトラーに歌わせたのでした。
でもディオンヌは、勝手に自分の曲を受け渡したと考えて、揉めます。
話合いの中で「Don’t Make Me Over Man」私を人に譲ったりしないで。
というセリフがあり、なんとバートとハルは1週間後そのタイトル曲を書き上げた。
それがこの曲です。
ディオンヌと仕事がしたかったバートとハルはこのあと彼女と3人のプロダクション会社を作って
今後ヒット作をガンガン飛ばしていくことになります。
ディオンヌは日本ではあまり名前を知ってる人は少ないかもですが、
We Are The World にも参加していて、ホイットニー・ヒューストンの叔母さんになります。
ディオンヌ・ワーウィックから連絡があり、ハル・デイヴィッドとの曲を数曲録音したのだけど、
その時「涙でさようなら」[Make It Easy on Yourself]はディオンヌもあまりピンときていなかった。
結局セプター(レコードレーベル)ではこの曲はださないときまったので、
ヴィージェイ(レコードレーベル)で、ジェリー・バトラーの歌で録音することに決定した。
ミュージシャンを集めて、指揮をとってレコードを作ってくれ!と言われ、バートは人生初の総指揮を努めた。
ポップ・チャート20位まで上昇したのだけれど、
このプレスされた音質が気に食わなかったらしく、バートは回収して作り直す!なって言ったそうです。
職人的なこだわりですね!
1961年 The Shirelles によって発売された [Baby It’s You]を
ビートルズかカバーしています。
マレーネデイトリッヒのコンサートを回っている時に
ビートルズのメンバーの1人がやってきて、あんたの曲一曲カバーしたよ!と言われたそうです。
その時バートはビートルズをしらなかったらしくww
当時はアメリカのヒットソングをあっという間にイギリスの人がそのまんまコピーしてレコード化する、
というのが日常茶飯事だったそうです。
このアルバムよく聴いたので、え、これバカラックだったの?って思う人も多いかもです。
ハル・デイヴィッドと書いたこの曲はひとフレーズが3小節でできていたようですが、当時の音楽ではそういうものがあまりなかったので違和感を感じたんでしょう。
プロデューサーが4小節に変えたらジョー・ウィリアムズに歌わせるということで、この音源が残っていますが、全く売れなかったようです。
確かに、フレーズ事に1小節間延びする感じがあるかもです!
バートさんは今後、変拍子やら奇数小節の曲をいっぱい書いていきます。
僕もやたらむつかしーなーと思う時ありますけど、彼の芸術感なんでしょうね!
「お前が間違っているといってやる自信がなかったために多くの曲を台無しにしてしまった」と言っています。
まだキャリア的にも難しかったでしょうね、、、
パラマウント映画で映画のスコアについて学ぶためにロスアンジェルスにいたバートの元に、ピアニスト・コンダクター・アレンジャーのピーター・マッツからマレーネ・ディートリッヒの代役を頼む電話があったようです。
マレーネ・ディートリッヒはベルリン生まれの女優で、アカデミー賞も受賞しており、当時はすでに56歳だったようですが、まだまだ美しかったとバートはいっています。
オーディションに受かると思わなかったバートは彼女の部屋に訪れた。
「曲を書くのか?」と聞かれ、数曲弾いてみせると、私には合わないけどフランク・シナトラにと、曲を送ってくれたようです。
シナトラにはボツにされたようですが、ここから2人は長く一緒に音楽活動をするようになります。
アレンジをし、ピアノを弾き、オーケストラを指揮するという仕事を長く続けていくことになります。
この仕事をするようになって、演奏が終わるとジュディ・ガーランドのような有名人達と一緒に食事することが多くなり、人脈を築いていきます。
ヒットを少しとばしながらも、作曲ではまだまだ生活できなかったバカラックは
ピアニストとして、バンドの演奏に参加しています。
エイムスブラザーズ
スティーブ・ローレンス
この演奏はバカラックの演奏ではないのですが、こういった売れているミュージシャンの伴奏で、ツアーを回ったりしていたようです。
エイムスブラザーズには曲を提供しようとしたそうですが、
作風が違ったために、
「曲はかかなくていいから、ゆっくししてくれよ、、、」なんていわれていたようです。
作曲家としてはなかなか上手くいかず、
スティーブ・マックイーン主演の「マックイーン絶対の危機」の映画を、
ノンクレジットで楽曲提供しています。
ノンクレジットは名前をださずに安く買い取られるということですね!
ミュージシャンあるあるですけど、バートさんは明らかに早く下積みを脱していると思います。うらやましい!
でも本人は作曲家として立ち行かず、かなり焦りを感じていたようです。
80曲近く曲を提供したにもかかわらず、録音すらされないことも多かったようです。