学校の勉強って社会で役に立たないのに
なんで勉強するの?
というという質問は教育機関にいると
非常によく質問されます
なぜ役に立たないのか?
なぜ学校が必要?
学校なんか行かなくてもえらい人はいっぱいいる
音楽での理論
という内容で僕なりの考えをお話ししてみました
学校の勉強って社会で役に立たないのに
なんで勉強するの?
というという質問は教育機関にいると
非常によく質問されます
なぜ役に立たないのか?
なぜ学校が必要?
学校なんか行かなくてもえらい人はいっぱいいる
音楽での理論
という内容で僕なりの考えをお話ししてみました
マイルスバンドにウェインが入っての主なスタジオアルバムは4枚あります
1965 E.S.P.
1966 Miles Smiles
1967 Sorcerer
1968 Nefertiti
ソーサラーには評伝では全く記述がなかったのですが
Prince of Darkness
Masqualero
Limbo
Vonetta
とショーターの曲が4曲も採用されています
そして、ネフェルティティでは
Nefertiti
Fall
Pinocchio
と3曲とりあげられています
このネフェルティティはエジプトの王妃の名前なのですが
いかにもそんな神秘的な雰囲気の曲です
しかもこの曲をレコーディングでマイルスは
「なあ、この曲、メロディーだけを演奏したらどうなると思う?」と提案するわけです
ジャズでメロディだけを演奏するということは基本ないので
メンバーはただ笑うだけだったようですが
結局それをマイルスは作品にしてしまいます
メロディをトランペットとサックス二人でずっと繰り返します
だんだんメロディがずれてきたり、少しなくなったり
ただただ8小節のメロディだけを繰り返して
ドラムがその後ろで物語をつくっていくという手法です
初めて聴いた時にしびれましたね!
この既成概念の取り外し方!マイルス天才!って思いました
本当にかっこいい演奏です!
この曲は突然降ってきたとウェインはいっています!
何か神秘的ですよね
https://youtu.be/s4QMU8CVlpM
マイルスクインテットが絶頂であった
ウェインは2つの不幸に見舞われている
1つめは1962年の妻アイリーンとの離婚
離婚調停の結果 娘ミヤコとは週末に会う権利は認められている
後に彼女は「スターウォーズ」シリーズのランド・カルリジアン(ハン・ソロの友人役)役をやっていた
ビリー・ディー・ウィリアムズと再婚している
いやー、出てくる人が世界トップクラスばかりで驚きですが、、、
2つめは1966年の父の死です
フィラデルフィアのウェインのギグを二人で見た帰り
二人の車は木に激突し父は即死だったようです
元嫁のアイリーンから彼女から伝えるよりもいいだろうということで、ピアノのハービーに電話があった
このことからしばらくの間ウェインはコニャック漬けの毎日で
演奏でよくミスすることが増えた
マイルスは同じような悩みを知っていたのでウェインにはやさしかったようだが
ある日ジョー・ヘンダーソンTsを連れてきて、テナー2管のサウンドをためしたいといいだした
やはり音楽的には限界があるぞ!というマイルスの暗の警告に
ウェインはしばらくコニャックを断つことになる
この後グループの結束は固くなり「マイルス・スマイルズ」ではほとんどがワンテイクでOKとなるほどだった
このアルバムにはウェインに曲が3曲採用されている
Oribits とFootprints Doloresの3曲
Footprintsはショーターの代表作になる曲だがマイルスになにか欲しいといわれ
簡単に書いた曲だったそうです。名曲ってそんなものですかね!
この曲は3/4から同じ小節の長さで4/4に切り替わるのですが
アフリカの音楽に全く同じ手法のリズムの切り替えがあるんですよね、、、
やっぱりトニーがこういう勉強していたんではないかって思われます
跳ねてないのに跳ねて聞こえるレガートといい
この当時のジャズドラミングを一新したといえるトニー・ウィリアムスはすごすぎです
この拍子の変化解説は以前やっています
ついでに演奏もしています!!
1965年 マイルスも活動を再開できる程度に回復し、数回のギグ(ライブ)を重ねたところで、メンバーからの不満が溜まりつつあった。
バンドのレパートリーは「ラウンド・ミッドナイト」や「ソーファット」など
メンバーは熟達していて、こうきたら、こう返す的な予測の元で演奏をすることに
飽きが来ていた。
これってものすごくレベルが高いが故の悩みですよね
そこで、トニーの提案は
「誰かに先の読まれるようなプレイは、ぎりぎりまでやらない演奏をしないか?」
それに対して、他のメンバーはあまり乗り気ではなかった
ステージ上でこういうゲームまがいの事をするのは良心が許さない
という気持ちが、、、、
しかし結果的には全員がこれに同意する
今回のギグは失敗するかもしれないが「バンドの進歩」のためにはそれも仕方ない
プラグドニッケルにメンバーが入ると
コロムビアレコードのテオマセロがレコーディングの準備をしていた
マイルスは知らなかったようで怒ったようだが
結局初日の録音は断ったものの二日目からは録音がされることに、
しかし、あまりに前衛的な演奏のためしばらくこの演奏がレコードとして
発表されることはなかった
1982年に、4曲だけ切り出されたものが発売されることになるのだが
現在はボックス版でこの全容を聴くことができる
しかも全部YouTubeに上がっているという
なんという時代でしょう
このWhen I Fall In Loveでは
マイルスの音の調子がまだなのも聴き取れるかと思います
最初のバッキングアプローチも普段と違いますねー
お客はCDで聴く完成したマイルスの演奏を聴きにきたので
前衛的なこの演奏で、大きな声で喋ったり
やじを飛ばしたりしてるのが聞き取れますね
このゲームをウェインはものすごく楽しんでいて
とても自由に演奏しています
本人はこの日は足かせを外されたようでゾクゾクするくらい楽しかったそうです
この曲ではレスターヤングやソニーロリンズ・スタンゲッツなどの引用をしたり
自由に吹きまくっています
ソロを終えてバックステージに行ったところで
マイルスに「お前なんでも吹けると思っているだろ?」
「何も演奏しないことはできるか?」ということを言われているそうです
そんな話をしていると
ベースのロンカーターのソロで客が
「レイ・ブラウン オスカー・ペティフォード ポール・チェンバース」といった
有名ベースプレイヤーの名前を上げて野次り始めたところで
慌ててマイルスがメロディを吹き始めて収めています
このアルバムをなんの知識もなくきくと
特にジャズ初心者には聴き辛いと思いますが
そんな耳を持ってきくと面白い!って思える深さが
ジャズにはあると思っています!
この曲は枯葉を丸っと1小節ずらした
コードにメロディを付け替えた
荒川悟志くん作曲Just Before The Fallin’ Leavesの演奏です
曲名も葉が散る前って文字ってつくってますね
枯葉がきこえてくると
頭の中が1小節ずれてしまいます
サビは3/4になっているのは読みやすくするためで
4/4に書き直すと同じ数になります
演奏をまどわせるいろんなトラップがあるので
心のなかでは
ずっとこのサムネみたいな感じで
演奏していました!
ギター:成瀬明
ピアノ:牧哲也
ベース:荒川悟志
テンポ140のカラオケで
相手のフレーズに対して答えながらの4バースをつくってみました
今回はチラッときこえた
ビリーズバウンスの後半をうたってみたり
前回のピアノが引用した
I’m biginninbg to see the light をギターが
引用したので、後半をまぜこんで使ってみました!
ドラムソロ140
スウィングするとかしないとかは
大きな命題だと思います
すごく悩みましたし
いまでも色々悩みます
でも基本はからだをゆすりたくなるような
リズム感というか
エネルギーの表現方法だと思います
電子ドラムでスウィング感を練習できるのか?という質問に
答えました
テクニックがあっても感動しない演奏ってなんだろう?
という質問にも
僕なりに答えてみました!
ウェインがマイルスバンドの仲間と打ち解けていくと同時に
マイルスは股関節の痛みを訴え、手術、再手術で
7ヶ月間演奏活動を休止しています
その間メンバーはブルーノートで名盤を残しています
1959年に建てられた レコーディングエンジニアの
ルディ・ヴァン・ゲルダーのスタジオはニュージャージーにあり
ウェインはそこを気に入っていたようです
ハービー・ハンコックは「処女航海」
トニー・ウィリアムズ「スプリング」
リー・モーガン「ザ・ジゴロ」
ウェイン・ショーターは
「預言者 The Soothsayers」「エトセトラ」「ジ・オール・シーイング・アイ」と3枚もリリースしています
この「The All Seeing Eye」ではウェインの兄のアランがフリューゲルで参加している
となっていますが、、クレジットには Tp Flugelフレディー・ハバードになっています
海外のウィキペディアでは兄のアランとはいっていました
Tp フレディ・ハバード
Flugel アラン
Tb グレシャンモンカー三世
As ジェームス スポールディング
Pハービー・ハンコック
B ロン・カーター
Ds ジョー・チェンバース
という4管の分厚いサウンドと
アドリブはすごい現代的なアドリブになっています
ウェインは、でもやっぱりこういうのは単発もので
ブルーノート側がメンバーを集めて、その日初顔合わせなんてのもあって
みんな優秀だから、演奏は形になるけど
バンドのような発展性はなかった
っていっています。
これあるんですよねー、バンドで同じ曲を毎日やっていくと
どんどん発展していく感じが!
だから、大きいホールの後に小さいライブハウスなんかもやったりするんですよね
お金もらいながら練習するというか、、、
リハーサルでは獲得できない本番ならではのチャレンジみたいなのが、、、
演奏の後ウェインは
「ミスター・デイヴィス。これ、どうぞ、新しい曲を書きました!」と
渡して帰っていた
1965年1月20日 ウェインはマイルスバンドでの初のレコーディングに臨みます!
マイルスからは一言「あのノートを持って来い」だった。
このアルバムにはタイトルの「E.S.P.」と[Iris]が採用されています
題名はテレパシーとかそういった意味ですよねSF好きのウェイン・ショーターらしい題名ですね!
この曲黒本の2にも載ってるんですよねー!
好きな曲ですー
ジャケットはマイルスとその時のマイルスの奥さん フランシス
ウェストサイドストーリーのメインキャストを演じるほど優れた女優&ダンサーだった人です
アート・ブレイキーバンドを脱退して自由になったウェインの元には
すぐさまマイルスからサンフランシスコのハリウッド・ボウルに出演するために
ファーストクラスの飛行機のチケットが送られてきた!
演奏のあと自分の演奏のコメントが誰からもなく、、、
ホテルの部屋で、ダメだったのか、、、と不安を感じていた所に電話がなった
マイルスから
「明日のレコーディングの準備が整った」との言葉だった
このあとしばらく実際にはレコーディングが行われていないが
ウェインには最高の賛辞だった
翌週バンドはベルリンに飛ぶ!
その模様がアルバム「マイルスインベルリン」に収められています!
この枯葉の演奏は確かに「Fore and More」のようなサウンド感からスタートして
マイルスのソロからウェインが受け継いだ所でさらに別世界にいく感じがしますね