ビル・エヴァンス07 ヘレン・メリル

海外でも日本でもそうだと思いますが、音楽業界はせまく、だれかをたどればつながっている事が多いです。
まして、ジャズなんてのは、一度は演奏した!なんて人は多くなります。

エヴァンスはヘレン・メリルとも仲良く、一緒にレコーディングをしています。
この演奏はエヴァンスらしい雰囲気で素敵ですね!

この後マイルスバンドに誘われた時にヘレンに「自分は期待に応えられるか?」などと電話で相談しているようです。
エヴァンスほどの人でもそんな悩みを人に相談したり、、、
なんかホッとしますね!

 

ウェイン・ショーター40 ワード・オブ・マウス

ジャコ・パストリアスとピーター・アースキンは1982年にウェザー・リポートを脱退します。

その前にジャコのソロアルバム「ワード・オブ・マウス」で、ショーターはソプラノを吹いています!

この曲はジャコの子供のジョンとメアリーの歌声や笑い声が入っています。
お父さんの優しさが溢れる曲ですねー!

 

ビル・エヴァンス06 初リーダーアルバム

このアルバムではこのタッドダメロンの「アワデライト」を紹介します!
良く聴きました!
ドラムソロもコピーしましたね!!ポールモチアンすでに発想がすごい!

エバンスは自分を売り込むのが苦手な人で、
すでにリバーサイドで契約していたギターのマンデル・ロウが
プロデューサーのオリン・キープニュースに電話ごしでエバンスのテープを聴かせという事!

人に紹介させたくなるくらいの演奏だったんですよねー!

キープニュースはそれから、エバンスのライブにちょいちょい顔を出すことになり、
このアルバム制作の話しがきまります。

ベースはテディ・コティック ドラムはポール・モチアンです。

このアルバムですでに「ワルツ・フォー・デビー」「ファイブ」も作曲されてはいっています。
なんと早熟な作曲家でしょうか!

あえて、このアワデライトを選んだのは、こういったゴリゴリスウィングバップピアノも弾いている!
というのを伝えたかったです!

でも2拍3連のアプローチとか、まさにジャズニューコンセプションですね!

ただ、初年度の売り上げは800枚だったそうです。
とはいえ、これからも売れ続ける作品ですからね!

 

ウェイン・ショーター39 ジョニー・ミッチェル

スティーリー・ダンとの共演を果たしたウェインはジャコ・パストリアスを介して
ジョニ・ミッチェルと知り合います。
ジャコは1976年のジョニのアルバム「逃避行」に先に参加していました。

ウェインとの初共演は1976年「ドンファンのじゃじゃ馬娘」のレコーディングでした。
その後も「ドッグ・イート・ドッグ」「ミンガス」にも参加しています。

今回とりあげたのは「ミンガス」というアルバムの「デ・モインのおしゃれ賭博師」

このアルバムはジョニとミンガス本人で作っていたのを、ジョニの方向転換で
ジャコ、ウェイン、ハービー・ハンコックが参加して作成しています。
ミンガスと制作していた時のコーラスや、ミンガスの声が切り貼りされてはいっています。

でも、ウェインはジョニのツアーにも参加せず、これをきっかけに
たくさんのポップミュージシャンからのオファーを全部断ってしまいます。

ツアーがウェザーリポートでも多かったし、やはり仏教にもかなりの時間をつかっていましたからね、、、

 

ビル・エヴァンス05 レニー・トリスターノ

クールジャズの中心人物でもある、レニー・トリスターノにビル・エヴァンス大きな影響を受けています。
シカゴ出身のレニーはニューヨークに進出すると音楽に革新的な考えをもっており、多くの弟子を抱えていました。
リー・コニッツ ウォーン・マーシュなどが代表で、まさにこのハーフ・ノートでの演奏はレニー本人、リー、ウォーンの演奏という素晴らしい演奏です。

レニー自体は人前にでることはあまりなく、自分のスタジオで教えたりするのが主で、短期で率直な人であったようです。

リー・コニッツと共にエヴァンスのライブにいた時も途中退出したため、リーも退席せざるおえず、、、リーを困惑させたりしたこともあるようです。

演奏を聴いても、お客さんを喜ばせるというスタイルでは全くないですね(笑)

特殊なリズムの取り方、ハーモニー、非常に革新的で、エヴァンスが影響を受けたのもよくわかります。

 

ウェイン・ショーター38 スティーリー・ダン

「ジャズミュージシャンはポップ畑の人間との仕事を、まるで伝染病かなにかのように毛嫌いするもんだ。」と本に書いてあるんですが、やっぱりそういう風潮はあったんでしょうね。

1970年代のフュージョン、プログレの流れはポップとの境界線を少なくしたが、やはり、批判する人は多かったようです。

ショーターも多くのオファーをうけつつも、自分がすんなり受け入れることができるバンドとして、スティーリー・ダンに白羽の矢があたった。

このAjaはジャズミュージシャンの中でも有名です。

ドナルドフェイゲンは昔からショーターのファンで、「ウェインみたいな音を出す」プレイヤーをやとうか、、、と考えていたが、やはり本人が!なんとしても捕まえるぞ!という気構えだったそうです。

ウェインが入った時点ではほとんど出来上がっていて、ソロパートだけをとっていく状態だったそうです。

この曲はドラムがスティーブガッドだし、神がかっていますね!

ビル・エヴァンス04 ジョージ・ラッセル

ビル・エヴァンスはジョージ・ラッセル(作曲家)の大ヒットアルバム「ジャズ・ワークショップ」に参加することになった。

ジョージの奥さんの友人の紹介でエヴァンスと初めてあった時のジョージの印象は
「容姿は普通、とても静か、やや引っ込み思案」と印象は良くなかった。

部屋にいってビルの演奏を聴こうとなった時に、これはひどい演奏になるんだろうな!って思ったジョージは、
逃げられるように、扉の近くで立ってきいていたくらいだそうです。

でも、魔法にかけられたように、彼のピアノに魅せられた彼は今後もビルと親交を増していくことになる。

この曲はクールジャズでも良く取り上げられる曲で、僕もよく演奏しますね!かっこいい!

ウェイン・ショーター37 映画音楽制作

ウェザーリポートも軌道に乗った活動している中、意外な事にそんなに金銭的に余裕はなかったようです。
レコード会社がコンサートへのサポートはしてくれなかったため、ジョー・ザヴィヌル(key)とウェインが、
持ち出しをする事も多かったようです。(持ち出し=建て替えて払う)

後に交渉する事で、そのあたりのサポートも受けられるようにはなったようですが、、、
その間ジャズの作曲の仕事は日照り状態、、、
しかし、ロサンゼルスに移り住んでいたため、映画のサウンドトラックの仕事があったようです。

こんな映画の曲も作ってたんですね。
「摩天楼を夢見て」1992
「逃亡者」1993
「代理人」1995
いやーリアルタイムでみてますよ僕、、、

そしてジャズミュージシャン(バドパウエルとレスターヤングがモチーフになっている)落ちぶれていく様を描いた、
「ラウンド・ミッドナイト」という映画では、この「コール・シート・ブルース」を書いてグラミー賞も受賞しているようです。

テーマらしいものはないんですけどね、、、

 

ウェイン・ショーター36 V.S.O.P

ウェザーリポートにはドラマー ピーターアースキンが入ることにより演奏が安定する。
しかし、この頃のライブはジョー・ザヴィヌル(key)とジャコ・パストリアス(b)のバトルが毎日のように繰り広げられる。お互いが毎回新しい機材を導入しては演奏であばれまくる。

ウェインはその中、演奏は控えめになるしかなかった、、、
しかも娘イスカの問題もあり、仏教へのめり込んでいくという状態だった。

そんななか、1976年のニューポートジャズフェスティバルで第二期マイルスバンドとほぼ同じメンバーでのセットが組まれた。
ハービー・ハンコック(p)ウェイン・ショーター(ts)フレディ・ハバード(tp)ロン・カーター(b)トニー・ウィリアムス(ds)というメンバーである。

ハービーやチック・コリアなどのバンドで、電子楽器の導入がすすむなか、後期ハードバップ時代のサウンドが帰ってきたわけである。もちろん多くの客に受け入れられることになります。

このセットをウェインやハービーのたしなんでいたコニャック(ブランデー)の高級品種の名前になじらえて、ベリー・スペシャル・ワンタイム・パフォーマンスで、V.S.O.Pと名づけ活動していくことになります。

フレディーはトニーウェイリアムスの音の大きさに半ば喧嘩別れのような形で抜けてしまう。

その後ハービーが若手のウィントン・マルサリス(tp)を迎えたり、サックスはジョーヘンダーソンになったり、ブランフォード・マルサリスになったり、メンバーチェンジを繰り返します。

上にはった動画は、やはり動画がいいなー探しましたが、ウェインが入ってるものだとこれだけしか見つけられず、、トランペットはウォレス・ルーニー(tp)がはいっています。

いやーこのセットみたんですけど、、しびれまくりました。
ウォレス・ルーニー大好きだったんですけど、コロナで亡くなってしまいましたね。

惜しい人を奪っていきました、、