ジャコとアースキンの抜けたウェザーリポートには新たに
オマー・ハキム(ds)とビクター・ベイリー(b)が加入します!
ウェザリポートの動画って昔あんまりなくって、これを買ってよくみてました!
ジャコの動画今ではすぐYouTubeでみれますけど、、、、
なかなか見つけれなかったです、、、
オマーハキムがドラム演奏しながら歌うんですよねー!!
ジャコとアースキンの抜けたウェザーリポートには新たに
オマー・ハキム(ds)とビクター・ベイリー(b)が加入します!
ウェザリポートの動画って昔あんまりなくって、これを買ってよくみてました!
ジャコの動画今ではすぐYouTubeでみれますけど、、、、
なかなか見つけれなかったです、、、
オマーハキムがドラム演奏しながら歌うんですよねー!!
海外でも日本でもそうだと思いますが、音楽業界はせまく、だれかをたどればつながっている事が多いです。
まして、ジャズなんてのは、一度は演奏した!なんて人は多くなります。
エヴァンスはヘレン・メリルとも仲良く、一緒にレコーディングをしています。
この演奏はエヴァンスらしい雰囲気で素敵ですね!
この後マイルスバンドに誘われた時にヘレンに「自分は期待に応えられるか?」などと電話で相談しているようです。
エヴァンスほどの人でもそんな悩みを人に相談したり、、、
なんかホッとしますね!
ジャコ・パストリアスとピーター・アースキンは1982年にウェザー・リポートを脱退します。
その前にジャコのソロアルバム「ワード・オブ・マウス」で、ショーターはソプラノを吹いています!
この曲はジャコの子供のジョンとメアリーの歌声や笑い声が入っています。
お父さんの優しさが溢れる曲ですねー!
ジャズを勉強していても、身につくのは人のためにを考えているか?
だと思います。
ジャズの演奏に歴史は必要なのか?
リスナーとして、ミュージシャンとして歴史を勉強する理由を考えてみました!
このアルバムではこのタッドダメロンの「アワデライト」を紹介します!
良く聴きました!
ドラムソロもコピーしましたね!!ポールモチアンすでに発想がすごい!
エバンスは自分を売り込むのが苦手な人で、
すでにリバーサイドで契約していたギターのマンデル・ロウが
プロデューサーのオリン・キープニュースに電話ごしでエバンスのテープを聴かせという事!
人に紹介させたくなるくらいの演奏だったんですよねー!
キープニュースはそれから、エバンスのライブにちょいちょい顔を出すことになり、
このアルバム制作の話しがきまります。
ベースはテディ・コティック ドラムはポール・モチアンです。
このアルバムですでに「ワルツ・フォー・デビー」「ファイブ」も作曲されてはいっています。
なんと早熟な作曲家でしょうか!
あえて、このアワデライトを選んだのは、こういったゴリゴリスウィングバップピアノも弾いている!
というのを伝えたかったです!
でも2拍3連のアプローチとか、まさにジャズニューコンセプションですね!
ただ、初年度の売り上げは800枚だったそうです。
とはいえ、これからも売れ続ける作品ですからね!
スティーリー・ダンとの共演を果たしたウェインはジャコ・パストリアスを介して
ジョニ・ミッチェルと知り合います。
ジャコは1976年のジョニのアルバム「逃避行」に先に参加していました。
ウェインとの初共演は1976年「ドンファンのじゃじゃ馬娘」のレコーディングでした。
その後も「ドッグ・イート・ドッグ」「ミンガス」にも参加しています。
今回とりあげたのは「ミンガス」というアルバムの「デ・モインのおしゃれ賭博師」
このアルバムはジョニとミンガス本人で作っていたのを、ジョニの方向転換で
ジャコ、ウェイン、ハービー・ハンコックが参加して作成しています。
ミンガスと制作していた時のコーラスや、ミンガスの声が切り貼りされてはいっています。
でも、ウェインはジョニのツアーにも参加せず、これをきっかけに
たくさんのポップミュージシャンからのオファーを全部断ってしまいます。
ツアーがウェザーリポートでも多かったし、やはり仏教にもかなりの時間をつかっていましたからね、、、
クールジャズの中心人物でもある、レニー・トリスターノにビル・エヴァンス大きな影響を受けています。
シカゴ出身のレニーはニューヨークに進出すると音楽に革新的な考えをもっており、多くの弟子を抱えていました。
リー・コニッツ ウォーン・マーシュなどが代表で、まさにこのハーフ・ノートでの演奏はレニー本人、リー、ウォーンの演奏という素晴らしい演奏です。
レニー自体は人前にでることはあまりなく、自分のスタジオで教えたりするのが主で、短期で率直な人であったようです。
リー・コニッツと共にエヴァンスのライブにいた時も途中退出したため、リーも退席せざるおえず、、、リーを困惑させたりしたこともあるようです。
演奏を聴いても、お客さんを喜ばせるというスタイルでは全くないですね(笑)
特殊なリズムの取り方、ハーモニー、非常に革新的で、エヴァンスが影響を受けたのもよくわかります。
「ジャズミュージシャンはポップ畑の人間との仕事を、まるで伝染病かなにかのように毛嫌いするもんだ。」と本に書いてあるんですが、やっぱりそういう風潮はあったんでしょうね。
1970年代のフュージョン、プログレの流れはポップとの境界線を少なくしたが、やはり、批判する人は多かったようです。
ショーターも多くのオファーをうけつつも、自分がすんなり受け入れることができるバンドとして、スティーリー・ダンに白羽の矢があたった。
このAjaはジャズミュージシャンの中でも有名です。
ドナルドフェイゲンは昔からショーターのファンで、「ウェインみたいな音を出す」プレイヤーをやとうか、、、と考えていたが、やはり本人が!なんとしても捕まえるぞ!という気構えだったそうです。
ウェインが入った時点ではほとんど出来上がっていて、ソロパートだけをとっていく状態だったそうです。
この曲はドラムがスティーブガッドだし、神がかっていますね!
ビル・エヴァンスはジョージ・ラッセル(作曲家)の大ヒットアルバム「ジャズ・ワークショップ」に参加することになった。
ジョージの奥さんの友人の紹介でエヴァンスと初めてあった時のジョージの印象は
「容姿は普通、とても静か、やや引っ込み思案」と印象は良くなかった。
部屋にいってビルの演奏を聴こうとなった時に、これはひどい演奏になるんだろうな!って思ったジョージは、
逃げられるように、扉の近くで立ってきいていたくらいだそうです。
でも、魔法にかけられたように、彼のピアノに魅せられた彼は今後もビルと親交を増していくことになる。
この曲はクールジャズでも良く取り上げられる曲で、僕もよく演奏しますね!かっこいい!
ウェザーリポートも軌道に乗った活動している中、意外な事にそんなに金銭的に余裕はなかったようです。
レコード会社がコンサートへのサポートはしてくれなかったため、ジョー・ザヴィヌル(key)とウェインが、
持ち出しをする事も多かったようです。(持ち出し=建て替えて払う)
後に交渉する事で、そのあたりのサポートも受けられるようにはなったようですが、、、
その間ジャズの作曲の仕事は日照り状態、、、
しかし、ロサンゼルスに移り住んでいたため、映画のサウンドトラックの仕事があったようです。
こんな映画の曲も作ってたんですね。
「摩天楼を夢見て」1992
「逃亡者」1993
「代理人」1995
いやーリアルタイムでみてますよ僕、、、
そしてジャズミュージシャン(バドパウエルとレスターヤングがモチーフになっている)落ちぶれていく様を描いた、
「ラウンド・ミッドナイト」という映画では、この「コール・シート・ブルース」を書いてグラミー賞も受賞しているようです。
テーマらしいものはないんですけどね、、、