ウェイン・ショーター03 兵役

ショーターはニューアーク・フラッシュ(ニューアークの閃光)
と呼ばれるまでになって名がニューヨークまで響いていた

しかし、学費を稼ぐために客が踊れるマンボの曲を書いて演奏していたりした
当時ディジー・ガレスピ(tp)がキューバップ運動と言って
キューバのリズムをジャズに取り入れ流行っていた
マンテカなんかが代表作になるかと思います

当時アメリカでは戦争はしていないものの兵役は義務付けられていて
ショーターにも召集令状が届いていた

入隊の数日前、尻のポケットに召集令状を入れたまま
カフェ・ボヘミアのバーカウンターでコニャックを飲んでいた

ステージでは
オスカー・ペティフォード(b)のバンドと
アート・ブレイキー(ds)のバンドが交互に演奏していた

「いやー、アメリカってスターバンドが対バンで聴けるんですよねー
僕もカリフォルニアのヨッシーズで
ケイアカギ(p)バンドでドラムはジェフ・ワッツ(ds)
チャーネット・モフェット(b)バンドでブライアン・ブレイド(ds)
を学生の時に対バンでみましたよ!
確か13ドルで2ステージづつみれてびっくりしました!

まだブライアンブレイドはそんな有名でもなくて
誰なんだこの激ウマドラマーは!って思ったのを覚えています」

話は戻ってそのバンドにアートテイラーが交代して叩いたり
キャノンボールがいたり
いやー凄すぎますよねー

マックスローチが来ていて
「君ニューヨークフラッシュだろ?楽器持ってきてるんだろ?」を言われ
シット・イン(バンドに突如参加して演奏すること)をしたそうです

この環境だったらそりゃーすごい人がどんどん出てくるわけですよね

 

ウェイン・ショーター02 ウェイン並みに変わってる!

ウェインは格好や受け答えなんかも変わっていて
演奏も当時はやっていたのはスウィングジャズ

ナットフィリップスオーケストラはスウィングジャズを
スーツや動きも決めてかっこよく演奏するのに対して
ウェインはジャッキーブランドバンドに所属
あえてスーツをくしゃくしゃにして長靴を履いたりして演奏していた

他の学生が
それってas weird as Wayne 「ウェインショーター並みに変わってる」
って言葉をつかうくらいかわっていたようです
ある意味すごく注目されてたってことですよね

高校時代最後の年にソニースティットが街にやってきて
若手のサックスをさがしていた
ウェインはまだ、C G Bbのキーしか曲が吹けなかったけど
演奏に参加するわけです

ソニーはEbの曲を始めた
でも動じずに演奏をやってのけて、俺と一緒にツアーまわらないか?
と言われるまでに!
でもそれを断ってニューヨーク大学へ進学を決めます

大学ではいろんな新しい事への挑戦をしつつ
なんと「シンギングレッスン」というオペラまで書いたそうです

でも似たようなミュージカル「ウェストサイドストーリー」を
バーンスタインが書いているのを耳にして
制作をやめてしまうようですが
後に曲として発表していく曲が後にブレイキーバンドなどで扱われる
「ネリーブライ」「ピンポン」「ハンマーヘッド」「シンシアリーダイアナ」だそうです

特にピンポンは僕もよく演奏しました!

 

 

ウェイン・ショーター01 幼少期

1932年兄・アランに続いて1933年ショーターは
ニューアークという街に生まれる

ジャズミュージシャンとしては
サラ・ボーン(Vo)やウッディ・ショウ(tp)がでている街
ニューヨークまではそう遠くない場所であった

兄と同じアーツ・ハイスクールに進学する

学校では美術や映画に没頭して
授業を抜け出して映画を見に行ってるような学生だった

ある日ビバップという音楽を知って夢中になる
トネットという笛のような楽器を1ドルで手にいれ
皆がいないところで吹いていたようだ

15歳で母からクラリネットを買い与えられ
クラシックの先生に師事することに

夏には兄と二人でレニートリスターノの
「Crosscurrents」というアルバムに取り組んだ

基礎練習そっちのけでこういう曲に夢中になるって
本当すごいですね!

 

ウェイン・ショーター00 ウォーターベイビーズ

以前一度読んだのですが、こちらの本を読み返しつつ、ウェイン・ショーターについてまとめていきたいと思います。

ウェイン・ショーターは現在(2022年)でも
コンテンポラリージャズでトップミュージシャンとして活動しています

ライブ「フットプリンツ」のコンサートは僕は3回いきました。
アルバムを聴いた時はあまりだったのですが、あまりにも凄すぎて涙が止まらなく、勧めてくれたベースの島田剛くんに泣きながら電話したのを覚えています。

ミュージシャンの多くはがショーターの作品をとりあげるのは、作曲能力が素晴らしいからですね!

この本では最初にマイルスの後期フュージョン時代に属するの作品「ウォーターベイビーズ」という曲をあげています

ショーターは12歳の時にチャールズ・キングズリーの長編小説「水の子供たち」を読んで、ずっと印象に残っていたいみたいです

主人公のトムは煙突掃除でいつもすすまみれ。川に落ち、死後の世界に流れ着いた後、水の子供という水の妖精に生まれ変わる。

物語の中で以下引用

「妖精なんていないという人もいる。でも、世界は広いんだ。妖精が生きられる場所はいくらでもある。彼らは人間の目の見えないところに、きっといる。見えないのは、探す場所を間違えているからなんだよ。この世で一番素晴らしく、一番強いるものはなんだかわかるかい?それは人間の目に見えないものなんだ。僕らの中には生命が宿っている。そのおかげで君の僕も成長し、動き、考えることができる。でも、実際に生命の形を見ることはできない。そうだよね?」

これ、サンタクロースの有名な社説に似てますよねー!

子供の時の大きな記憶が湖を見た記憶。それが何度も思い出されるという事とSFが好きなショーターは、そんなところの想いがつまった曲なんでしょうね!

初演は自分のアルバムSuper Novaでやっていますが、やはりマイルスCDの演奏の方がマイルスの音色¥で、そのイメージをものすごく引き立てている気がします。
譜面にするとたった8小節のこの曲ですが、どちらがお好きですか?

 

アントニオ・カルロス・ジョビン19 遺作「アントニオ・ブラジレイロ」

遺作CD「アントニオ・ブレジレイロ」1994から
Forever Green です。
サウンドがモロジャズですよね!
このアルバムはグラミー賞を受賞しています

1993年には
「Antonio Carlos Jobim and Friends」というアルバムで
ジャズミュージシャンとのアルバムも制作しています

ハービーハンコックp ジョーヘンダーソンts ゴンサロルバルカバTp シャーリーホーンvo ジョンヘンドリックスvo ロンカーターbハービーメイソンds アレックスアクーニャPer などなど
すごいメンバーですよね

ボサノバの垣根を超えて
作曲家、音楽家として素晴らしいです

1994年12月8日ニューヨークのマウント・サイナイ病院にて死去されました

もっと後半細かく色々ありましたが
このあたりでまとめは終わらせていただきますね

是非一度こちらの本読んでみてください!
苦悩もたくさんあり、色々な挑戦をしつづけ
アルバム制作に没頭しつづけた素晴らしい音楽家だったんだなーと
改めて実感しました!

 

アントニオ・カルロス・ジョビン18 パッサリン

1984年ポッソ・フンド(山の中の家)の家で
子供たちは庭のプールで歓声をあげ、テラスでパスタをみんなで食べていた
ジョビンは幸福感でいっぱいで
家を出たりはいったりピアノに向かってはテラスに戻る

唐突に皆をピアノの前によんでこの「パッサリン」を弾き歌い始めた
皆に歌詞とメロディを教えていき歌声が家に響き渡った

なんてすごい作曲なんでしょう
絵がみえるようですね

アルバムのジャケットは娘のベッチが描いたそうです

このアルバムすごく素敵で好きです!
軽いタッチですごくおしゃれです

ルイーザという曲はこの年に産まれた末娘さんのお名前です

アントニオ・カルロス・ジョビン18 ガブリエラ

ジョビンは1982年映画「ガブリエラ」のサウンドトラックの作曲をします
(映画は1983年発表)
この曲はガルコスタの歌は映画にマッチしていたそうです
見たいけど、、、ポルトガル版しかなさそうです

南国雰囲気バッチリでめちゃくちゃ可愛い曲です
ガルコスタがまだわかくてめちゃくちゃかわいいですねー!

この曲でジョビンはプレーミオ・シェル最優秀ポピュラー・コンポーザー賞を受賞しています!

アントニオ・カルロス・ジョビン17 トゥー・カイツ

破局

テレーザが用意したトランクにはトム(ジョビン)の荷物が全部つめられていた
そしてそれをトムがいない間に使用人に車に積ませた

さすがブラジル女性はすごいですね
トムを追い出すわけです
自分がでていくわけじゃないんですね

しばらくトムは飲んだくれてバーに寝泊まりしている状態でした
トムの義父ニルザに離婚調停を願い出て
二人の離婚はあっけなく進んだ

妹のエレーナには
「こんな風にしたかったわけじゃない」と言ったが
「でも、あなたはあんまり勝手すぎたのよ」と言われています
作曲、苦手な飛行機での行き来などもあり余裕もなかったのでしょうか

プラトニックな恋

そしてアナ・ベアトリスに出逢います
ウルブーにはいっているアンジェラという曲は
アナに送ったんだとトムは言っています
二人は2年間プラトニックな付き合いをし、再婚します

1978年アナとの新婚旅行へ
1979年ジョアン・フランシスコ・ロントラ・ブレジレイロ・ヂ・アルメイダ生まれる
ジョビン52歳の時の息子になります
ヴィニシウス・モライスがポッソフンドへ尋ねてきます
アナとトムと楽しい時間を過ごした後
トムはモライスがお別れにきたのだと気づいています
翌年1980年にモライスはなくなります。
同年発売の「テラ・ブラジリス」にTwo Kitesが入っています
ジョビンがアナとの関係を2つの凧に表して作曲したと言われています

この曲は今でも結婚式などでも歌われるようです。
この曲はちょいちょいジャズライブでも演奏しますね!
可愛くて楽しい曲です

アントニオ・カルロス・ジョビン16 ウルブー

ビリンバウ(楽器)で始まり、ポップだけど非常に難解なこの曲「ポト」
ミウーシャが完璧に寄り添って歌っているのがすごい!

ポトは川イルカの意味

このアルバムはジョビンが自費で制作
演奏はニューヨーク交響楽団
録音が終わる時には全員が起立して
ジョビンに拍手を送った!

確かに、非常に素晴らしいできだと思います

が、、、ブラジルの評論家は完全にこのアルバムを無視
支持することも攻撃することもなかったそうです
こういうのって一番こたえますね、、、、

さらにずっと左足が悪かったのが
ついに歩けなくなるほどに
そこで発覚したのが動脈の異常

ジョビンの苦難は続きますね、、、

アントニオ・カルロス・ジョビン15 マチッタ・ペレー

1973年発売のこのアルバムのテーマ曲
やっぱり作曲家としてこういう壮大なテーマを
表現したいんですよね!

ジャズミュージシャンは手をつけづらい曲ではありますが

かっこいいですね!

このアルバムには昨日ご紹介した
「三月の雨」がはいっています!

この頃から夫婦仲が悪くなっていきます
長いツアー、パーティーではジョビンはピアノで演奏しっぱなし
その周りには若い女性がいつもいるのを
妻テレーザは遠くでみているしかなかった、、、

そんな少しづつのすれ違いが積み重なって
会話もなくなっていく

どんな人も多くの苦悩があるんだな、、、て思います