ウェイン・ショーター06 ジョー・ザビヌル

ウェインの新たなチャンスは
ジョー・ザビヌル(p)と出会ったことであった
後にウェザリポートを一緒に結成する同士であるが
まだザビヌルはオーストリアのウィーンからNYに来たばかりで
英語も覚束ない状態であった

しかし、ウェインとは非常に気があって
いつも一緒につるんでいた

その頃のNYでは「セレニアス・モンク(p)だ。マイルス(tp)もいる。あそこにいるのは、、、
ソニー・ロリンズ(ts)だ!」といった具合の状態
ただ見ていれば言葉はなくても、いろんな事がわかる状態だったと言っている

その頃メイナード・ファーガソン(tp)率いるビッグバンドの
テナープレイヤーの一人が兵役で軍隊に入ることとなり
サビヌルは、そのオーディションをウェインに受けるように説得する

オーディションには、エディ・ハリスやジョージ・コールマンも来たようだが
見事ウェインがそのポストを獲得した!

ファーガソン・バンドはみなさんよくご存知の
「スタートレック」のテーマ!アメリカ横断ウルトラクイズで聞いたことあるかと

ウェイン・ショーター05 コルトレーンとの出会い

兵役期間満了の数週間前に
ホレス・シルヴァー(p)という人物から、君が除隊できないかと訊かれている。君と一緒に何かプレイしたいそうだ」と指揮官に言われた

ウェインはもう一年射撃訓練の教官として隊に残るように要請されていたが
おかげですぐ除隊することができた。

ホレスとは結局3回くらいしか演奏しなかったらしいですが
著作権の管理の事をいろいろ教わったようです

ホレスは自分の曲の出版権を自ら管理した最初のジャズメンだそう
おかげで彼はのちのヒップホップアーティスト達がサンプリングで使った
著作権料をしっかりもらうことになったそうです

除隊後、ウエインは遅れを取り戻そうと沢山のギグ(ライブ)を重ねていく

ある日の午後ウェインは昼のステージをホレス・シルバーとしているところに
上品な女性が現れ「ナイーマと申します」と自己紹介される

「夫がお会いしたいと申しております。あなたのプレイが気に入ったそうです」と
ジョンコルトレーンが現れた

なんという出会いなんでしょうね!!

103丁目のブロードウェイにあった彼のうちにウェインはしょっちゅう通うようになる
「手料理をご馳走してくれて、その後一緒に練習したり、話したり
なかなか帰してくれなかったな」と言っています

なんて微笑ましい光景なんでしょうね

フレディ・ハバード(tp)が、コルトレーンの家に行くとウェインがいて
よく弦楽器の本を二人で練習していた。楽器の特性でなく音をつなげる練習として
ウェインの方がうまくふけてることもあって
でも、ウェインがソニーロリンズみたいに吹くと
「おいおい、それはお前らしくないな」なんてコルトレーンが注意したり

なんという光景でしょう!!

ニューヨークでは今でも若いミュージシャンが演奏していると
グレートミュージシャンが遊びに来たり
いろんな先輩後輩の関係があって素敵ですよねー

30代の頃はそんなこともよくしてましたが
最近観ないのは僕らが怠けてるからですかね、、、、

コルトレーンは1959年ジャイアントステップスを発表する年
マイルスのバンドを離れるためにウェインを紹介しようとしていた
ウェインはマイルスに電話したが、その時は
「新たにテナープレイヤーが必要になったら知らせる」と断られている

コルトレーンが奥さんに捧げた曲
ナイーマを今日はご紹介します!この曲本当素敵

 

 

ウェイン・ショーター04 レスター・レフトタウン

ウェインの兵役の配属先は
ニュージャージーのフォート・ディックス
(右上赤丸がマンハッタン島です)


そこでは射撃の腕前で一目置かれたそう
さらに、軍のバンドでたまたま空いていポジションに入ることができた
そこでシダー・ウォルトン(p)と出会っている

軍のバンドで演奏しているのを人に見られるのは
かっこわるいって思っていたそうですが
とても恵まれた兵役環境だったみたいですね!

兵役中に10日間の休暇をもらい
ウェインはトロントに遊びに行った
タウン・タヴァーンという店ではレスターヤングが演奏していた
憧れのレスターを観に行ったというわけです

ストライプのスーツにペイズリーのかっこでキメて行ったけど
お目当てのアルコールは売ってもらえず満席の中でいると
なんとレスターから声をかけてきてくれて
「ニューヨークからきたんだろ?飲みたいんだろ?」と言われ
酒蔵で本物のコニャックを飲ませてもらった

この偶然をウェインは神がくれた何かなんだろうと考えたようです

レスターを尊敬しているミュージシャンは本当に多いですが
レスターの世間での評価はあまり高くなかったようです、、、

ミンガスがレスターに捧げた曲
Goodbye Pork Pie Hatはいろんな方がカバーしていて有名ですが
のちにウェインがブレイキーバンドで作曲する
レスターレフトタウン これは僕もよくバンドで演奏しました

レスターの独特な歩き方を表現しているようです!
特にウェインのこのソロの最初は千鳥足で歩いている
レスターを表現したとのこと!

ウェイン・ショーター03 兵役

ショーターはニューアーク・フラッシュ(ニューアークの閃光)
と呼ばれるまでになって名がニューヨークまで響いていた

しかし、学費を稼ぐために客が踊れるマンボの曲を書いて演奏していたりした
当時ディジー・ガレスピ(tp)がキューバップ運動と言って
キューバのリズムをジャズに取り入れ流行っていた
マンテカなんかが代表作になるかと思います

当時アメリカでは戦争はしていないものの兵役は義務付けられていて
ショーターにも召集令状が届いていた

入隊の数日前、尻のポケットに召集令状を入れたまま
カフェ・ボヘミアのバーカウンターでコニャックを飲んでいた

ステージでは
オスカー・ペティフォード(b)のバンドと
アート・ブレイキー(ds)のバンドが交互に演奏していた

「いやー、アメリカってスターバンドが対バンで聴けるんですよねー
僕もカリフォルニアのヨッシーズで
ケイアカギ(p)バンドでドラムはジェフ・ワッツ(ds)
チャーネット・モフェット(b)バンドでブライアン・ブレイド(ds)
を学生の時に対バンでみましたよ!
確か13ドルで2ステージづつみれてびっくりしました!

まだブライアンブレイドはそんな有名でもなくて
誰なんだこの激ウマドラマーは!って思ったのを覚えています」

話は戻ってそのバンドにアートテイラーが交代して叩いたり
キャノンボールがいたり
いやー凄すぎますよねー

マックスローチが来ていて
「君ニューヨークフラッシュだろ?楽器持ってきてるんだろ?」を言われ
シット・イン(バンドに突如参加して演奏すること)をしたそうです

この環境だったらそりゃーすごい人がどんどん出てくるわけですよね

 

ジャズドラムソロ悪い例4つ

ジャズドラム用の4バースカラオケをあげたところ
お手本を出して欲しいとの問い合わせたくさんいただきました

というわけでまずはテンポ100
これって結構難しいテンポです

あまり上手くいかない例
1.三連符で叩きまくる
2.シンコペーションブックをそのまま使う
3.16分音符で叩きまくる
4.表の音符を多用 バスドラやフロアタムを頭拍に持ってくる 
を演奏してみてから
このテンポでジャズらしくする方法4つを解説と
演奏してみました!

譜面資料(メルマガ読者限定)

ゆっくりテンポドラムソロ資料

X Japan Forever Love ドラム演奏してみた

僕の青春時代のヘビロテ曲
聴くのと叩くのは違いますね
しかも長尺(8分超え)なので
こうやって組み立ててたんだー!と
非常に新鮮な思いで演奏しました

弦もいれてガッツリ演奏してみました
流石にリハーサルでペダル外れたりと
一曲が長いので時間かかりました!

加藤梨菜ちゃん熱唱です!

ウェイン・ショーター02 ウェイン並みに変わってる!

ウェインは格好や受け答えなんかも変わっていて
演奏も当時はやっていたのはスウィングジャズ

ナットフィリップスオーケストラはスウィングジャズを
スーツや動きも決めてかっこよく演奏するのに対して
ウェインはジャッキーブランドバンドに所属
あえてスーツをくしゃくしゃにして長靴を履いたりして演奏していた

他の学生が
それってas weird as Wayne 「ウェインショーター並みに変わってる」
って言葉をつかうくらいかわっていたようです
ある意味すごく注目されてたってことですよね

高校時代最後の年にソニースティットが街にやってきて
若手のサックスをさがしていた
ウェインはまだ、C G Bbのキーしか曲が吹けなかったけど
演奏に参加するわけです

ソニーはEbの曲を始めた
でも動じずに演奏をやってのけて、俺と一緒にツアーまわらないか?
と言われるまでに!
でもそれを断ってニューヨーク大学へ進学を決めます

大学ではいろんな新しい事への挑戦をしつつ
なんと「シンギングレッスン」というオペラまで書いたそうです

でも似たようなミュージカル「ウェストサイドストーリー」を
バーンスタインが書いているのを耳にして
制作をやめてしまうようですが
後に曲として発表していく曲が後にブレイキーバンドなどで扱われる
「ネリーブライ」「ピンポン」「ハンマーヘッド」「シンシアリーダイアナ」だそうです

特にピンポンは僕もよく演奏しました!

 

 

ウェイン・ショーター01 幼少期

1932年兄・アランに続いて1933年ショーターは
ニューアークという街に生まれる

ジャズミュージシャンとしては
サラ・ボーン(Vo)やウッディ・ショウ(tp)がでている街
ニューヨークまではそう遠くない場所であった

兄と同じアーツ・ハイスクールに進学する

学校では美術や映画に没頭して
授業を抜け出して映画を見に行ってるような学生だった

ある日ビバップという音楽を知って夢中になる
トネットという笛のような楽器を1ドルで手にいれ
皆がいないところで吹いていたようだ

15歳で母からクラリネットを買い与えられ
クラシックの先生に師事することに

夏には兄と二人でレニートリスターノの
「Crosscurrents」というアルバムに取り組んだ

基礎練習そっちのけでこういう曲に夢中になるって
本当すごいですね!

 

ウェイン・ショーター00 ウォーターベイビーズ

以前一度読んだのですが、こちらの本を読み返しつつ、ウェイン・ショーターについてまとめていきたいと思います。

ウェイン・ショーターは現在(2022年)でも
コンテンポラリージャズでトップミュージシャンとして活動しています

ライブ「フットプリンツ」のコンサートは僕は3回いきました。
アルバムを聴いた時はあまりだったのですが、あまりにも凄すぎて涙が止まらなく、勧めてくれたベースの島田剛くんに泣きながら電話したのを覚えています。

ミュージシャンの多くはがショーターの作品をとりあげるのは、作曲能力が素晴らしいからですね!

この本では最初にマイルスの後期フュージョン時代に属するの作品「ウォーターベイビーズ」という曲をあげています

ショーターは12歳の時にチャールズ・キングズリーの長編小説「水の子供たち」を読んで、ずっと印象に残っていたいみたいです

主人公のトムは煙突掃除でいつもすすまみれ。川に落ち、死後の世界に流れ着いた後、水の子供という水の妖精に生まれ変わる。

物語の中で以下引用

「妖精なんていないという人もいる。でも、世界は広いんだ。妖精が生きられる場所はいくらでもある。彼らは人間の目の見えないところに、きっといる。見えないのは、探す場所を間違えているからなんだよ。この世で一番素晴らしく、一番強いるものはなんだかわかるかい?それは人間の目に見えないものなんだ。僕らの中には生命が宿っている。そのおかげで君の僕も成長し、動き、考えることができる。でも、実際に生命の形を見ることはできない。そうだよね?」

これ、サンタクロースの有名な社説に似てますよねー!

子供の時の大きな記憶が湖を見た記憶。それが何度も思い出されるという事とSFが好きなショーターは、そんなところの想いがつまった曲なんでしょうね!

初演は自分のアルバムSuper Novaでやっていますが、やはりマイルスCDの演奏の方がマイルスの音色¥で、そのイメージをものすごく引き立てている気がします。
譜面にするとたった8小節のこの曲ですが、どちらがお好きですか?